少年忍者・織山尚大くんのプロフィールまとめ!オリは小説よりも奇なり~青の表現者が織りなす「余白」に迫る

少年忍者の一員として、唯一無二の異彩を放っている織山尚大くん。彼の魅力はダンスだけではありません。表現者・織山尚大の神秘的な世界に足を踏み入れると「もっと知りたい」という気持ちに支配されていくはず。今回は、少年忍者・織山尚大くんのプロフィールについて、入所理由や経歴、魅力や性格が分かるエピソードを交えながら、たっぷりとご紹介していきます。

少年忍者・織山尚大くんのプロフィールまとめ!オリは小説よりも奇なり~青の表現者が織りなす「余白」に迫る

神秘の織山ワールドに見る少年忍者・織山尚大くんの魅力~表現と余白


(画像:フリー素材「写真AC」

「余白」を残すこと

尊敬するKing & Prince髙橋海人くんのダンスについて、織山くんは「余白」という表現を用いていたことがありました。見ている人の「もっと知りたい」という気持ちを引き出すような「余白」のあるパフォーマーを目指したいと本人が話していたこともありました。

織山くんが表現したいものや伝えたいもの……正直なところ、そのすべてを理解することはできません。どうにか理解したいと思ってみたものの、やはり難しいものがありました。織山くんが表現したいものをとにかく「知りたい」「知ろう」として、正解は何なのかを追い求めようとしていた気がします。

ただ、「余白」という言葉に触れたときに「正解がないものってあるのかもしれない」ということに気づかされました。分からないことが分かり、理解できないことが理解できたような気がしています。目に見えているものだけではなく、目に見えないものがある……そう感じてはいるものの、目をいくら凝らしても見えてこないものがきっとあるんですよね。

でも、自由な発想で見つめるための余白を残してくれていると考えると、見えたかどうかではなくて、見ようとして考えたり、想像を膨らませたりすることが大切なんだと感じました。言葉では表現できないこともたくさんありますが、それを無理に言語化せずとも心のなかで何かを感じて、世界観に浸って、余韻を楽しむことが大切なのかなと感じたりします。

織山くんが紹介してくれた『忘れっぽい天使』という楽曲もまた、それぞれの状況が見出す余白によって様々な解釈ができるなと。織山くんの表現するものや発信されるものにとどまらず、織山くん自身や織山くんの人生のテーマには「余白」が大きく関わっているのかもしれません。

行間を読む

織山くんがかつて挙げていた「小説を読むこと」という趣味。小説は登場人物の心情を読み取る力がつくなんて話していたことがありました。

先ほどのジャニーさんの思いはあくまで筆者の推測でしかありませんが、何気ない言葉を大切に携えている織山くんの様子からは、きっと小説のようにジャニーさんの心情をくみ取って、感性を磨いて、自分のなかに響かせているんじゃないかって思うことがあります。

「行間を読む」ように、織山くんなりにジャニーさんの言葉にある真意に迫っていくなかで、見えているものがあるんじゃないかって思っています。

『Kappa』のような難解な作品と向き合って織山くんの世界が開けていったように、ジャニーさんの言葉もまた難解な作品のようなもので、それと向き合うなかで「群れてはいけない」という言葉の解釈の幅が広がっているのかもしれません。

そして、群れないことの意味を考えるなかで、群れることに対する見方・考え方も変わっていくのかもしれません。織山くんを見ているとそう感じます。

神秘の織山ワールドに見る少年忍者・織山尚大くんの魅力~闇と光


(画像:フリー素材「写真AC」

ネガティブとポジティブ

佐々木大光くんが「オリはけっこうネガティブ思考」なんて話していたことがありました。織山くん自身も、考えすぎてしまう性格ゆえにネガティブ思考になって自分自身をボコボコに追い込んでしまうと話していたことがあります。

彼の唯一無二の表現力を見ていても、ネガティブな思考は物事の本質に迫ったり、物事を繊細に捉えたりするために必要なものなのかもしれません。ただ、現状維持や安定を求めず、絶えず前に前に進んでいる姿を見ると、単に「ネガティブ」という言葉だけでは見えてこないものがあるように思います。

織山くんを見ていると、ネガティブであることを自覚しながらも、闇だけではなく光を見出そうとする、光を理解しようとする姿勢があるなぁと感じるんですよね。

無理にポジティブへ変換しようとするわけではなく、ネガティブな思考とじっくり向き合うなかで、そこにポジティブの欠片を見つけたり、ポジティブを見出す気づきを与えられたりするようなイメージでしょうか。

空想科学劇『Kappa』〜芥川龍之介『河童』より〜で共演した青木くんは、織山くんの「寂しさ」や「悔しさ」「悲しさ」といったマイナスの表現力、そのすごさに言及していたことがありました。これは、心の内側にあるものを「生々しく表現したい」と考えている織山くんだからこそかもしれません。

ただ、単なるネガティブ思考だけでは、きっと青木くんの言葉は引き出されないはず。光を見出そうとする、光を理解しようとする姿勢があるからこそ、人々に突き刺さるような闇がより引き立てられているのかなと思っています。

雨が好きになる過程

織山くん×雨のエピソードを見ていても、ネガティブのなかに光を感じる瞬間を目の当たりにすることができます。

もともと「雨」というものに対してネガティブなイメージを持っていたという織山くん。その思いを克服すべく、土砂降りの日に傘をささずに歩いたことがあったそう。かつてISLAND TVにアップされていた「%」の動画にも、それと似たようなシーンがありましたね。

土砂降りの雨に打たれながら織山くんが感じたこと……それは、雨によって嫌なことが全て流されていくような感覚でした。この経験を通じて、織山くんは雨が好きになったんですよね。

織山くんを追いかけていくと「雨」というキーワード、もう少し広く考えると「水」というキーワードが重要な役割を持っているような感覚もあります。ミュージックステーションで亀梨和也くんが『Rain』を披露したステージにも織山くんの姿がありました。映画「おおかみこどもの雨と雪」の「雨」を織山くんと重ね合わせているファンの方もいました。

一見するとネガティブなイメージをまとっていても、捉え方を変えることで違う世界が開けていくのかもしれません。雨が単なるネガティブなイメージではないことに気づかされるように、織山くんも単なる「ネガティブ」では捉えられないことがたくさんあるように思います。

死ぬ気でやる覚悟

織山くんの性格、そのすべてを知ることはできません。ただ、織山くんの発言や表現に触れていくと、あるいは周囲の織山くん語りに目を向けていくと、ものすごく繊細なんだなぁと感じることが多いです。

本人の発言を紐解くと「心が繊細だったのは中学生の頃」=過去の話という解釈になってしまいそうですが……個人的には、今も昔も変わることのない「繊細さ」があると思っています。

とは言え、かつての織山くんが話していた「繊細さ」は、気分が落ち込んでしまうようなネガティブ要素を強めに含んでいるように映っていました。

やがて、ネガティブな感情への感じ方や受け取り方、ネガティブな感情との向き合い方が洗練されていくようなイメージに変わっていった気がするんですよね。「そこで何もかもが終わってしまう」ような閉ざされたイメージから、「その先に何かがある」と感じられるようなイメージへ変化したと言えばいいでしょうか。

昔から感度の高いアンテナを持っていて、色んなことに気づいてしまって……色んなモノ・コト・ヒトに対して人一倍深く捉えてしまうからこそ、抱え込んだり、考え込んだりすることが他の人よりも多かったのかもしれません。ただ、年齢や経験を重ねていくなかで、そういった時の立ち回り方が変化していったのかなと思うんですよね。

「成長するなかで、気持ちの浮き沈みがコントロールできるようになった」と織山くんも話していましたが、それによって「繊細さ」の持つポジティブな要素が色濃くなっていった気がします。

繊細だからこそ生み出される豊かな感受性が、唯一無二の表現力に繋がっている部分も大きいはず。織山くんを見ていると、繊細さがなければ生み出すことのできない「人を惹きつける要素」が至るところに散りばめられているなと思うんですよね。

そうした「繊細さ」から生み出される美しさや儚さ、力強さや荒々しさは本当に魅力的ですが、織山くんの発言に目を向けていくと、繊細さが苦しさにつながっている部分もあるのかなと思うことがあります。「頑張る」という言葉では足りないくらいに、私たちが心配になってしまうほどに、全身全霊をかけて、命や魂を削って向き合う姿を目の当たりにする瞬間がありますよね。

ジャニーさんの言葉をきっかけに、どんな舞台に対しても「死ぬ気でやる覚悟」を持って臨んでいる織山くん。自身にとって初主演舞台となった「空想科学劇『Kappa』〜芥川龍之介『河童』より〜」、その千穐楽での挨拶もすごく印象に残っています。

「織山尚大 倒れる」という検索ワードが存在するように、この『Kappa』は、本当に極限の状態で立っていたことが分かる瞬間がたくさんあります。本番直前でセリフを全部飛ばしてしまったエピソードは、それを象徴するような出来事かもしれません。

本番直前、ルーティンである腹式呼吸をした際に、織山くんは崩れ落ちるように倒れてしまったことがあったそう。起き上がった時には、自分の名前も自分がいる場所や置かれている状況も分からなかったという織山くん。

メイクさんに背中をさすってもらい「大丈夫だよ」と声をかけられるうちに、『Kappa』という舞台に出ていることだけは理解できるようになったといいます。ただ、自分でも何をやっているか分からない、セリフも全て飛んでいる……そんな状況で登場する形だったようです。

本人は「セリフが飛んでしまった」感覚もあったようですが、今までの努力が報われたように、自然とセリフが出てきたそう。そして、結果的にはノーミスで終えることができたんですよね。本人にとっても不思議な経験だったようです。

こうしたエピソードを通じても、「死ぬ気でやる」という言葉が示すように、本当に命がけで作品と自分と向き合っているんだと感じることが多いです。

計り知れない努力を感じることはもちろんですが、織山くんの作品に対する向き合い方を知っていくと、自然とセリフが出てくることは不思議でも偶然でもないような気がします。

織山くんを見ていると、そこにいるのが織山くんであることを忘れてしまうことがあります。自分が演じる人物に「感情を乗せる」「なりきる」といったそういうレベルではないんですよね。そこに「織山くんは存在しない」と言い切れるくらいに、奥底まで入り込んでいくイメージと言えばいいでしょうか。

だからこそ、セリフが飛んでいたとしても、自分が誰か分からなかったとしても、そこに『Kappa』という舞台があるだけで、その舞台に生きることができるんだと思っています。

「もう無理」の先にあるもの

織山くんは、自分が感じていることを伝える際に、ダンス=言葉にできない部分を表現できるものであり、表現するにあたって一番簡単な方法=ダンスであると話していました。ただ、最も簡単だと言いつつも、そこに苦しさや難しさがあるんだろうと思う瞬間があります。

踊っている時は童心に帰れるという言葉、考えすぎな今の自分にとって無邪気で無敵だった在りし日の自分は憧れの存在だという言葉……そうした発言からも、小さい頃に抱いていたダンスに対する好奇心や「楽しい」という純粋な気持ちを大切にしていることが分かります。

ただ、ダンスを追求していくなかでは、なかなかそうはいかないんだろうなと感じることも多いです。ダンスを避けがちだという言葉からは、色んなことを考えさせられます。

そのくらい命を削っていて、本当にギリギリのところで奮闘している証拠なんだと思います。命がけで向き合う姿を見ていると、どうしても無理しないでほしいという思いが込み上げてくるんですよね。

ただ、追い込まれていることに辛さを感じながらも、本人は「それがいいんだ」と考えています。織山くんにとって疲労や過酷な状況は常に更新されていくもので、向き合うたびに「もう無理」という思いになっても、そこを乗り越えると、不思議と「またステージに立ちたい」という思いを抱くようになっていることに気づかされるようです。

織山くんを見ていて胸が苦しくなったり、織山くんのことが心配になったり……そういったファンの方はきっと多いと思います。

ただ、決して自分を極限まで追い込むことを肯定したいわけではありませんが、そうしたスタイルが織山くんらしさでもあり、唯一無二の魅力を生み出すために必要不可欠な要素になっているであろうことも事実。そうしたものに、私たちが惹きつけられてしまうのも事実。織山くんを見ていると「今、この瞬間」を大切にしたいという思いが強くなります。

「理想を追い求める姿を応援したい気持ち」と「無理しないでという気持ち」……ファンとしては、その押し引きやバランスって本当に難しいと思います。ただ、織山くんが表現したいものを追い求める限りは、命を削って立ち向かうスタンスが大きく崩れることはないのかもしれません。

思えば、お母さんから「20歳まで生きなさい。色んな世界が待っているよ」と言われたなんてエピソードがありました。

そうした言葉に触れても、織山くんが身を置く世界には「生」と「死」が常に隣り合わせのような状況があるように思うんですよね。「死ぬ気でやる」とか「命を削る」が決して大それた言葉ではなく、織山くんの等身大の姿として響き渡ってくるような感覚があります。

諳んじているかのような美しい表現

筆者は「Mrs. GREEN APPLE」も大好きで、大森元貴さんの言葉選びにものすごく惹かれる部分があるんです。なぜそういう言葉選びができてしまうのか、そういう発想になれてしまうのか……うまく説明はできないんですが、一つ一つの言葉に魔法がかけられるように、すごく生き生きと歌詞が躍動しているように映っています。

言葉って時に武器となる危うさを持っていると思うんです。ただ、だからこそ誰かの心を突き動かす力もすごいんだと信じています。筆者も誰かの心を揺さぶる言葉を綴りたいという思いがあって、言葉選びを洗練させるため、言葉の力を引き出すために、絶えず自分の言葉を磨きたいと思っています。

そんなミセスの『Soranji』を通じ、織山くんが「人生を変えたい」という一心でありのままの自分を表現した動画。個人的に「好き」と「好き」の融合で「ものすごく贅沢だ」と思ったのも束の間、本当にただただ圧倒されてしまいました。

同時にミセスと織山くんの親和性というか、両者には共鳴するものがあるんじゃないかという思いも込み上げてきました。関西ジュニア伯井太陽くんとの『Soranji』はもちろん、『ダンスホール』や『Attitude』などミセス楽曲との融合に触れるなかで、そんなことを強く感じるようになっていきました。様々なミセスの楽曲×織山くんの表現する世界にもっともっと足を踏み入れてみたいです。

『Soranji』が「諳んじる(そらんじる)」という言葉から来ている……そういった解釈や意味の広がりも個人的には大好物なんですが、織山くんを表現するときも、そうした発想をしたくなることって多い気がするんです。

自分が知っている・持っている言葉では、表現できないものがあるような感覚と言えばいいでしょうか。今ある言葉ではなく、その先にある言葉や言葉になりうるものを追求したいという気持ちになります。誰も思いつかなかった視点で織山くんが織りなす世界を表現したくなります。

ちなみに「諳んじる」は「何も見ず言えるように覚える」という意味。織山くんの表現する世界もまた、そこにメモのような書き記されたものが見当たらないのに、まるで何かを暗記したかのように理路整然とした手順を踏んでいるような感覚があると言えばいいでしょうか。

織山くんの表現に触れて「自由」という言葉の解釈は変わった気がしています。筆者のイメージしていた自由って、もっと四方八方に散らばっていくような感覚があったんです。ただ、織山くんの表現は開放されながらも統率されている……そこに何かを感じて、見方や考え方が変わりました。

織山くんがインスタの投稿で繰り返し使っていた「ありのまま」という言葉。「ありのまま」という言葉って「自由」の言い換えでもあると思うんですが、決して「フリー」という感じではないなと。「ありのまま」という言葉には、「自分自身」という意味があるんだと改めて気づかせてもらったような気がします。

自分でも何を言っているのか分からなくなりそうですが……織山くんの表現する「ありのままで自由な世界」は、織山くん自身であって、彼自身や彼の心をまっすぐ反映しているものなんだなと。彼自身が美しいからこそ、そこから出てくるものも美しいんだなと思います。

彼の表現って、おそらく二度と同じものには巡り合えないと思うんです。ただ、決して行き当たりばったり(もっといい表現がありそうです……すみません)という感じではなく、そこにブレないものがあって、綺麗に積み上げられたもののなかから開放されているようなイメージもあります。

少年忍者・織山尚大くんさらなる活躍に注目!


(画像:フリー素材「写真AC」

2019年のお誕生日に初めて織山尚大くんのプロフィール記事を書きました。その時は「ダンスが上手な子」というイメージが強くあって、「ダンス」を軸として彼の性格や魅力を紐解くべきだと思ったんです。

織山くんの第一印象として、筆者と同じように「ダンスが上手な子」というイメージを持った方はきっと多いはず。織山尚大くんを語る上では、やはり「ダンス」を欠かすことができません。

2017年春に行われた「ジャニーズJr.祭り」では、今や伝説として語り継がれる「Cブロの織山」が話題となったこともありました。本人が好きだと話しているフリーダンスが、ステージ上で異彩を放っていることも多くありました。

「視線泥棒」なんて言葉が使われるように、彼のダンスに目を奪われる瞬間は本当に数えきれないほどあります。昔も今も「ダンス」というものが織山くんの歩みや魅力語りには欠かせません。

ただ、何と言えばいいでしょうか……知れば知るほどダンスだけではない、もっともっと壮大な世界が広がっていることに気づかされていくような感覚がありました。メンバーカラーのように、青く神秘的な世界が広がっているような感覚がありました。

ダンスだけではなく、振り付けだったり、お芝居だったり、彼が紡ぐ言葉だったり……織山くんがいる場の空気感や織山くんが描き出す世界観に踏み込んだ時、彼には「表現者」という言葉が合っているのかもしれないと感じたんですよね。黒田光輝くんの言葉を借りると、「0から1を作る天才」だということをまざまざと見せつけられるような感覚がありました。

表現者・織山尚大ということに気づき、そうした視点で彼を知っていくと、本質的な部分に目を向けなければいけない、目を向けていきたいという思いに支配されていったんです。自分も0から1を生み出せるような記事を書きたいと思ったんです。

ただ、言葉にできないものを表現するのは難しくて、結果的には自分でも何を言っているのか分からない記事になってしまいました。「それは違う」「意味が分からない」といったご意見も多々あるだろうなと思っています。ただ、一つでも多く織山くんの魅力を伝えたいという思いで気持ちを込めて執筆させていただきました。織山くんの残してくれている「余白」に、自分の感じていることや考えていることを乗せてみたつもりです。

気づけば、初めて記事を書いてから6年の月日が経ってしまったんですね。当時はジュニアのプロフィールをここまで掘り下げることはなかったと思います。これが初めてだったと思います。

今もですが、織山くんのことを語れるほど彼のことを知っているわけではありません。ただ、それでもあの時の自分は「書きたい」という気持ちを抑えきれなくなったんです。書き始めたら「もっと掘り下げてみたい」という意欲もかき立てられました。

自分でもここまで深入りできてしまうことに驚きつつ、それだけ織山くんがすごい人なんだということを感じました。

織山くんが命を削って臨んでいるのだから、自分も命を削るくらいの勢いで書かなければいけない……そんな謎の使命感に駆られ、約1か月かけてゆっくりじっくり書いた記憶があります。書き終えたときには、もう何もできないくらい空っぽになっていました。

ただ、そこには今までにない充実感があって、思わず興味をそそられてしまうような未知の引力を感じました。そこからどんどん視界が開けていって、織山くんに対する見方や考え方も変わっていきました。

織山くんって本当に奥が深くて、見るたびにどんどん視界が開けていくような感覚があるんです。もっともっと伝えたいことがあるような気もするんですが、それが分からないほどに神秘的だなと思っています。そこにどんどん惹かれてしまうんだなと思っています。

小説を読むことが好きで、小説を書いているとも話していた織山くん。その小説が読みたくて読みたくて仕方がありません。そのくらい織山くんの言葉選びや表現が魅力的で、もっともっと色んなものを感じてみたいと思っています。

「オリは小説よりも奇なり」

彼を見ていると、そんな言葉を使いたくなることがあります。織山ワールドは、空想で描かれているものよりも不思議な世界。彼の織りなす神秘的な世界には、何色にも染まる何色にも染まらない魅力が散りばめられています。

絶対勝つぞ!

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