【TOBE】Number_i(ナンバーアイ)岸優太くんのプロフィールまとめ!汗と涙が輝く岸くんの魅力とは?

かつてはKing & Prince(キンプリ)のリーダー&最年長として活躍し、Jr.時代から本当にたくさんの人に愛されてきた岸優太くん。Jr.歴が最も長い彼は、これまでの歩みのなかで様々なことを味わい、たくさんの経験を重ねてきました。彼を知れば知るほど、たくさんの方に愛される理由がもっともっと見えてくるはずです。今回は、Number_i岸優太くんのプロフィールを徹底解剖。入所理由や経歴はもちろん、様々なエピソードを交えながら、岸くんの魅力をたっぷりとご紹介していきます。

【TOBE】Number_i(ナンバーアイ)岸優太くんのプロフィールまとめ!汗と涙が輝く岸くんの魅力とは?

【TOBE】Number_i(ナンバーアイ)岸優太くんのプロフィールや魅力が知りたい!

その愛くるしいキャラクターで、多くの人々を夢中にしている岸優太くん。2023年10月15日にTOBEへの移籍が発表され、平野紫耀くん・神宮寺勇太くんとともに「Number_i」(ナンバーアイ)のメンバーとして新たなスタートラインに立ちました。

ジャニーズJr.時代からの岸くんを振り返ってみると、これまでの歩みのなかで様々な苦みを味わいながら、たくさんの努力を重ねてきたことが分かるはず。彼を知れば知るほど、「岸優太」という世界の奥深さ、岸くんがたくさんの方に愛される理由がもっともっと見えてくるはずです。

今回は、そんな岸優太くんのプロフィールを徹底解剖。入所理由や経歴はもちろん、様々なエピソードを交えながら岸くんの魅力をたっぷりとご紹介していきます。


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【TOBE】Number_i(ナンバーアイ)岸優太くんのプロフィール


(画像:PhotoAC)

まずは岸優太くんの基本プロフィール、入所理由、同期のメンバーについて見ていきましょう!

名前 岸 優太(きし ゆうた)
誕生日(生年月日) 1995年9月29日
出身地 埼玉県
血液型 A型
身長 167cm
きょうだい 兄(2歳上)、妹(3歳下)
入所日/入所時の年齢 2009年7月20日/13歳
同期 ※同月入所 橋本涼(HiHi Jets)
1995年9月29日に2,874gで生まれた岸くん。名前の候補として「こうき」「ゆうた」の2つで両親は悩んでいたようです。最終的には「優しく太く生きてほしい」願いから優太という名前になりました。「名は体を表す」という言葉ってこういうことなんだなぁと、優しい人柄が溢れ出す岸くんを見ていると思わずにはいられません。
A型だけど、おおざっぱでA型と思われないなんて話していた岸くん。ただ、TOKIOカケルの「岸くんが突然占ってもいいですか?」のコーナーでインデックスをきれいに貼っていたノートなど、昔から「あぁA型なんだな」と感じる瞬間って多かったような気がします。

入所理由は?

2009年7月20日、中学2年生(13歳)の時にジャニーズ事務所へ入所した岸優太くん。「母が履歴書を送った」「いとこにオーディションへ連れていかれた」といったエピソードが語られたこともありましたが、後に「叔母が送った」という入所理由に落ち着いた印象でもあります。

もともと芸能界に興味はなかったという岸くん。しかし、勉強が大嫌いすぎたこともあって「就職する」と考えるよりは「ジャニーズに賭けてみよう」という気持ちになったと語っているんですよね。

思えば、入所のきっかけとして「自分が入りたかったから」と話していたこともありました。自分で履歴書を送ったわけではありませんが、色んな思いを駆け巡らせるなかで「入りたい!」という気持ちが強くなっていったのかもしれません。

オーディション時は丸坊主だった?

野球少年だった岸くんが、オーディション時に丸坊主だったことは今や有名な話かもしれません。かつて放送されていた「ジャニーズJr.ランド」(2012年5月27日放送)で、当時の同期メンバーから丸坊主エピソードが暴露されたんですよね。

2019年6月21日放送の「バズリズム02」では、小学4年生の時に撮影された坊主頭の岸くんの写真も公開されていました。オーディション時の「中2で坊主」という岸くんのエピソードに触れると、何となく入所当時の久保廉くん(少年忍者)と重ね合わせてしまいます。

バントの神様

小学5年生から中学2年生まで軟式野球に打ち込んできた岸くん。2021年5月17日放送の『スカッとジャパン』でも取り上げられていましたが、打席に立つと監督から必ずバントのサインを出されていたんですよね。アウトカウントやランナーの有無は関係なかったようで、2アウトランナーなしの状況でもセーフティーバントのサインが出ていたそう。そんなこんなで、当時は「バントの神様」なんて呼ばれていたようです。

監督によると「足が速いから」という理由でバントのサインを出されていたようですが、「俺だって、たまには大きく振りたい!」と本人は思っていたんですよね。そこから筋トレをしたり、素振りをしたりしながら猛特訓を重ねた岸くん。『スカッとジャパン』ではそうした努力を経て、監督を見返すホームランを打つまでの過程が描かれていました。

バントのサインが出るたびに正直ムカついていたという岸くん。ただ、今になって振り返ってみると、その「ムカつき」が「頑張ろう」という原動力になっていたことに気づかされたそう。岸くんは、そんな当時の出来事に対して感謝の気持ちを持っていると話していました。ちなみに岸くんはセカンドを守っていたようです。

岸優太くんのオーディション曲

岸優太くんのオーディション曲は、Hey! Say! JUMPの『Born in the EARTH』。2018年のキンプリツアーMCでも話題になっていましたし、ドキュメンタリー番組「RIDE ON TIME ~時が奏でるリアルストーリー~」では、かつてオーディションが行われた会場へ訪れた岸くんが、ボンアスを小さく口ずさみながら踊る姿も映されていましたね。

岸くんにとっては思い入れのある好きな曲であり、音を聴くだけで緊張する曲でもあったようです。ちなみに岸くんにとっての初ステージは『Hey! Say! サマーコンサート’09 JUMP天国』でもあります。

★岸くん×ボンアスおすすめステージ
せっかくなので、ボンアスを踊る岸くんを楽しめるステージもご紹介したいと思います。個人的には2011年8月28日放送の「スクール革命」で披露されたボンアスのステージがおすすめ。冒頭と終盤で岸くんの顔のドアップもありますし、バックJr.が少ないので踊っている姿を存分に楽しめると思います(前半はステージ向かって左端の最前列で踊っています)。同ステージにはJr.時代の佐藤勝利くん、SixTONES(当時B.I.Shadow)の髙地優吾くん、松村北斗くんなどもいます。このステージの岸くんはニコニコと楽しそうにがむしゃらに踊っている姿が印象的でもあります。

同期メンバーは?

岸くん(2009年7月20日入所)の同期には、現HiHi Jetsの橋本涼くん(7月19日入所)がいます。はしもっちゃんとは1日違いですが、最近では2人で「同期」という認識を共有しているようです。

はしもっちゃんの話をもとに考えると、彼の参加したオーディションは5~6人しかいなかった一方、岸くんのオーディションは300~400人がいたということになるでしょうか。

はしもっちゃんの参加したオーディションも、本当であれば何百人という規模で行われる予定だったようです。ただ、「ジャニーさんが何百人も呼んでいるだろう」と事務所の人は思っていたものの、実際にジャニーさん通知を出したのは数人。そういったいきさつがあって、翌日に急きょ300~400人の参加者を呼ぶという流れになったようです。

はしもっちゃんの話を踏まえると、岸くんは急きょ呼ばれた300~400人になかに含まれていて、そのオーディションを勝ち抜いたと考えることができるでしょうか。

採用された人数について明確には分かりませんが、先ほど「坊主頭」だったエピソードを話してくれた同期の子を含めた2人が、300~400人のオーディションを勝ち抜いたことになるのかもしれません。

その同期の子とは、ともに9月生まれでもありました。それぞれがそれぞれの道を歩んでいる今も、彼らの話題になることはあります。岸くんがキンプリとしてCDデビューを果たした時に、SNSでお祝いのメッセージを綴っていたことが印象的でした。

ちなみに、神宮寺勇太くんやtimeleszの佐藤勝利くん、Travis Japan(トラジャ)のトリプルカイト(宮近海斗くん・中村海人くん・松倉海斗くん)と同期なんて情報が出ることもありますが、彼らの入所日は2010年10月30日。岸くんはそれよりも1年以上前に入所しているんですよね。

親友である勝利くんとの仲良しエピソードが多いこと、セクバやPrinceとして長い間Jr.の活動を共にしてきたメンバーが多いこと、勝利くん主催の同期会に写真係として参加したものの自撮りモードで自身も写り込んだことなどなど……同期と間違われてしまう色んな要因があるのかもしれません。

メンバーカラーが一人だけシンプル

King & Prince(キンプリ)のメンバーとして活躍していた時の岸くんのメンバーカラーは紫。ほかのメンバーが「深紅」「漆黒」「ひまわりイエロー」「ターコイズブルー」となっているなかで、一人だけシンプルだったんですよね。

メンバーカラーを答える際、自分の番になってもキャッチーな名前が降ってこなかったため、Jr.時代からのメンカラである「紫」と答えたそう。それが公式となってしまったようですが、一人だけ通常運転なところが「岸くんらしい」という声も聞こえてきました。

iPhone12の新色「パープル」が発売された際には、岸くんカラーなんてファンの間で話題になったことがニュースで取り上げられたこともありましたね。

【TOBE】Number_i(ナンバーアイ)岸優太くんの歩み・経歴から見る魅力1


(画像:PhotoAC)

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~セクバとなる前

岸くんのJr.時代(ジュニア時代)を語る上で欠かせないのは、やはり「セクバ」(=”セクゾ”の”バ”ック踊るJr.)としての活動。セクゾがデビューするまでは少年俱楽部(少クラ)を中心に、スノープリンス合唱団(スノプリ)のバックやスノプリメンバーと同じ括りでステージパフォーマンスを行っている印象もあったでしょうか。

とは言え「ミュージックステーション(Mステ)」では、スノプリに限らず関ジャニ∞のバックで踊っていたこともありましたし、2010年には「SMAP×SMAP」「東京フレンドパーク」「24時間テレビ(TOKIOのバック)」などの大型番組にも出演し、先輩方と共演していたりもします。2011年1月には、岸くんにとって初舞台となった「新春滝沢革命」にも出演を果たしているんですよね。

また、岸くんや橋本くんをはじめとして、中村嶺亜くん(現7 MEN 侍)や井上瑞稀くん(現HiHi Jets)といった2009年入所組と一緒に、2010年入所組を中心とするユニット「ジャPAニーズHi!(ジャパハイ)」に所属していたこともありますし、勝利くんや聡マリ(松島聡くん・マリウス葉くん)らと「微笑年」というユニットに属していたこともありました。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~セクバとしての出発点

2011年11月にSexy Zoneがデビューしたことを機に、セクゾのバックにつくJr.(=セクバ)としてステージに立つことが多くなっていきます。

セクバの初期主要メンバーには、スノプリのメンバーだった嶺亜くんのほか、キンプリメンバーとして一緒に駆け抜けてきた神宮寺勇太くんなどがおり、ファンの間では「きしっくす」なんて呼ばれていた時代もありました。「きしっくす」には最年長である岸くんを含む6人という意味があったんですよね。

2012年春からは岩橋玄樹くんがセクバにつくようになり、「神7」(6人時代から「神7と呼んでいるファンの方もいました)、「岸セブン」と呼ぶファンの方も多くなっていった印象です。

セクバは少しずつ規模を拡大していきますが、岸くんが最年長という立場が変わることはありませんでした。昔から先輩・後輩関係なくイジられることも多かった岸くんですが、一方で「Jr.を引っ張ってくれる頼れるお兄ちゃん」と周囲が語っていた印象でもあります。岸くんを取り巻く雰囲気を見ていると、岸くんを尊敬し、岸くんに倣おうとするJr.は多かったんだろうなぁって思うんですよね。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~Sexy Zone(セクゾ)佐藤勝利の台頭

コツコツとJr.の活動を積み重ねていくなかで、マイクを持てるまで徐々に上がってきた岸くん。しかし、セクゾのデビューにより、後輩である佐藤勝利くんがものすごいスピードで追い抜いて行ったんですよね。

「荒れ果てていた」という本人の発言などからも、相当なショックを受けたことが分かります。勝利くんと同期のメンバー(2010年10月入所組)が悔しさをにじませたことはその通りだと思いますが、先輩である岸くんにとっては、もっともっと大きくて複雑な思いを抱える出来事だったに違いありません。岸くんの16歳のお誕生日である2011年9月29日にセクゾの結成が発表されたというのも、何かこう……感じるものがあります。

「荒れ果てていた」という言葉や「何でこんなことしなきゃならないの?」という仕事に対する思いなど、『RIDE ON TIME ~時が奏でるリアルストーリー~』のなかで当時の思いを振り返っていた岸くん。ただ、本当に荒れ果てていたとしたら、セクバとしての活躍もSHOCKへの抜擢もキンプリとしてのデビューもなかったはずです。

先にデビューしたのが勝利くんだったからこそ、岸くんの飛躍する未来が拓けてきたという見方もできるのかもしれません。岸くんは、セクバとして勝利くんと同じステージに立つことが多くなりました。入所1年に満たない状況でデビューした勝利くんは、右も左も分からないままステージに立っていました。

本当に計り知れないほどの苦悩を味わってきたことは、近くで勝利くんの姿を見てきた岸くんも感じていたはず。岸くんのデビューが決まった時、親友である勝利くんは「死ぬほど頑張っていた」と話していましたが、岸くんもまた、勝利くんが死ぬほど頑張っていたことを知っているはずです。

立場は違うかもしれませんが、お互い切磋琢磨しながら、助け合い支え合いながら駆け抜けてきたのかもしれません。優勝コンビ(岸”優”太&佐藤”勝”利)が親友となったのも、こうした日々を一緒に乗り越えてきたからこそという部分が大きいのかなぁと思っています。泣きそうになりながらデビューを祝福している勝利くんの姿に触れたときに、そういう思いがよりいっそう強くなりました。

周囲から「裏表がない」「ギャップがない」なんて言われることも多い岸くんですが、その言葉が示すように、本当にどこまでもまっすぐなんですよね。自分の立場が変わろうと周囲の状況が変わろうと、ずっとずっと変わらないもの、ブレないものがあります。

セクバとしての活動を振り返ってみると、どの瞬間を切り取ってもどこまでもまっすぐで全力投球で、とにかく一生懸命な姿しかありませんでした。セクバ時代の岸くんは「永遠のフレッシュJr.」といった印象を受けるほどに、とにかく汗を輝かせながら、しゃかりきにがむしゃらに頑張っていたなぁというイメージが強いです。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~岸優太くんが愛される理由

Jr.時代からキンプリ、Number_iとしての現在まで、ともに駆け抜けてきた神宮寺勇太くん。彼は岸くんのストイックな姿勢、目標を決めてその目標に近づくために妥協せずにひたむきに向かっていく姿勢について「昔から変わらない」と語っていたことがありました。そうした部分が大好きで、刺激を受けると話していたんですよね。

こういった変わらないもの、ブレないもののなかに、岸くんが愛される理由が凝縮されているような気がします。入所時、中学2年生だった神宮寺くんにとっては、当時高校生だった岸くんは頼れるお兄ちゃん的存在。セクバとして一緒に活動するようになり、時に真面目な話し合いを2人で重ねることも多くなっていきました。

神宮寺くんは先頭に立って、声を出してセクバを引っ張っていくような存在。岸くんは自身のひたむきな姿でセクバを引っ張っていく存在。個性の強いメンバーが揃うセクバは、Wゆうたをはじめ、それぞれのカラーを輝かせ、補い合いながら歩みを進めてきた印象でもあります。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~バラエティ番組での魅力開花

セクバとして踊っている姿を見る→岸くんを知るきっかけとなった筆者は、バラエティ番組「ジャニーズJr.ランド(ジュニラン)」での岸くんを見た時に衝撃を受けました。ステージに立っている姿だけでは本当に真面目すぎるくらい真面目で、お笑いの方向に走る(走らされる)、イジられるといったイメージが全くなかったんですよね。

ただ、ジュニラン初登場時の「きしゅーたです!」からの特技「しゃちほこ」を見てからは、少しずつ岸くんがどういうキャラクターなのかが見えてくるような感覚がありました。

先ほど「ギャップがない」なんて周囲のメンバーの言葉を紹介してしまいましたが、パフォーマンス中とそれ以外の岸くんでは、ガラッと印象が変わるんですよね。性格における裏表はないのかもしれませんが、アイドルとしての岸くんを応援していると、本当にギャップの宝庫であることに気づかされていきます。

今振り返ってみると、こうしたバラエティ番組の存在って本当にJr.の魅力を知る上でなくてはならない存在だったなぁと感じるんですよね。岸くんも「ジュニラン」や「ガムシャラ!」、「真夜中のプリンス」や「ジャニーズJr.dex」などなど……Jr.時代にバラエティ番組で魅力を開花させた部分って大きい気がしています。

バラエティでは、岸くんの天然な一面が花を咲かせることも多いですよね。新幹線の自由席で「どこに座っていいか分からない」と発言したり、「いつジャニーズ事務所へ入所したのか?」という問いに対して「滝沢さんと同じ95年に生まれました」なんて答えたり……挙げていけばキリがないんですが、思わず笑顔になって元気をもらえるような発言・行動が多いなぁと感じます。

岸くんの天然エピソードについては以下の記事でたっぷりとご紹介していますので、そちらもぜひ読んでいただけると嬉しいです!

キンプリ時代に書いた記事のため、King & Prince表記になっています。あらかじめご了承ください。

King&Prince(キンプリ)岸優太くんの天然がヤバい?おバカエピソードや名言をまとめました!

【TOBE】Number_i(ナンバーアイ)岸優太くんの歩み・経歴から見る魅力2


(画像:PhotoAC)

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~輝く汗と涙

Jr.時代から使われていた岸優太くんの顔文字。
(;б;エ;б;)

大量のセミコロン(;)が示すように、「顔から滝汗が噴き出す」という意味でも「一生懸命努力する」という意味でも、人一倍汗をかいているイメージが強くありました。

セクバ時代は今以上に汗がすごかったイメージもありますし、とにかく全力すぎて「あれ? もしかして怒ってる……?」と思ってしまうくらいに、パフォーマンス中の顔が怖い時もありました。

ただ、あの「目力」を初めて目の当たりにしたときには「怖さ」というよりも、思わずグッと惹きつけられるような「意志の強さ」みたいなものを強く感じた気がします。一つ一つのステージを大切に全力投球する姿からは、やはり「荒れ果てていた」という状況は想像できないんですよね。

たくさんの汗を流すイメージが強い岸くんですが、SHOCK公演では毎回「これでもか!」というくらい大泣きしていたことも話題となりました。そんな様子を見て、岸くんの水不足を心配する声もありましたね。

少クラのオープニング後に「オープニング終わった後の汗じゃない」とツッコまれたり、お台場リアスコイベントで、神宮寺くんが「俺の汗飲む?」と話し出すと、すかさず「俺のほうが(神宮寺より)いっぱい(汗)出るよ!」とアピールしてみたり……。

思えば、鼻血も出やすい(出やすかった)体質のようで、ジャニーズワールド(ジャニワ)で鼻にティッシュを詰めて出演したというエピソードもありましたね。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~元祖しゃかりきダンス

岸くんのダンスは、周囲のJr.たちから「元祖しゃかりき」なんて表現されていたこともありました。

セクバ界隈では「しゃかりき」と言うと、やはり松松シンメ(松倉海斗くん・松田元太くん)のイメージが根強かったかもしれませんが、松松に限らずセクバにはガシガシ踊る子が多かった印象でもあります。

現在はグローバルボーイズグループ・INIのメンバーとして活躍する田島将吾くんも、松倉くんに「しゃかりき」と言わせてしまうほどのダンスを武器にしていました。

特にしゃかりきな子たちに全体が引っ張られていたような部分もあるかもしれません。岸くんもまたガシガシと踊っていた印象が強いです。

セクバやその周辺Jr.にとっては、最年長で最もJr.歴が長い岸くん=「元祖」というイメージが強かったのかもしれません。岸くんがガシガシと踊る姿、そのひたむきさを見ていると、本当に応援したくなると言えばいいでしょうか。2011年11月20日放送の『MUSIC JAPAN』でセクゾデビュー曲のバックについた際、「Wildに~♪」のところで足がふらつくぐらい全力で踊っている姿を見た時に「あぁ、どこまでもまっすぐなJr.なんだな」と思った記憶があります。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~岸颯シンメとしての歩み

現7 MEN 侍・中村嶺亜くんのプロフィール記事でご紹介したんですが、セクバ初期メンバーに目を向けると、嶺亜くんの周りはデビューしているかジャニーズとは別の道へ進んでいるかの2択→後に全員がSTARTO(旧ジャニーズ)とは違う道に進んでいる(他の事務所等に所属or芸能界を引退)に絞られてしまいます。

【7 MEN 侍】中村嶺亜くんのプロフィールまとめ!スケボーだけでは語れない“れあたん”の魅力とは?

岸くんのセクバとしての軌跡をたどる上では「岸颯(きしふう)シンメ」の話題を欠かすことができません。セクバとしての出発点は、岸くんにとってシンメとなった髙橋颯くん(現在はホリプロ所属、6人組ダンス&ボーカルグループ「WATWING」のメンバー)との出会い、岸颯シンメの出発点でもあります。

颯くんは「ヘッドスピンの子」という表現が分かりやすいかもしれません。セクゾのデビューシングルでは、ラストサビでグルグルと回っていましたね。彼らは「岸颯シンメ」として親しまれ、いわば「セクバの顔」として切磋琢磨してきました。

セクバのシンメでは珍しく年齢が3つ(岸くんが3歳年上)離れており、颯くんにとってはシンメであると同時に、憧れの存在といった関係性でもありましたね。とにかく岸くんが大好きすぎて、テレビや雑誌、コンサートなどで大好きすぎる気持ちを発信しているようなイメージでもありました。

一方の岸くんは「好き」と言われすぎて、どう反応していいか困ってしまっている印象でもありましたが「好きと言ってくれること自体、すごく嬉しい」と話していたこともありましたね。あまり本音を表に出さないイメージが強かった岸くんですが、颯くんのことをしっかり見て、考えて、色々と気遣っているんだなぁと思う瞬間、優しさや思いやりの気持ちがたくさん詰まっていると感じるエピソードもたくさんありました。

そうした絶妙な関係性が、2人にしか醸し出せない世界観をもたらしているような印象でもありましたね。岸颯シンメの魅力や奥深さは、2人を取り巻く独特の空気感や見えそうで見えない距離感だと個人的には思っていました。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~セクバからSHOCKへ抜擢

セクゾ結成から揺るぎないシンメとして活動してきた岸颯シンメ。しかし、2013年に岸くんが「Endless SHOCK」のキャストに抜擢され、岸颯シンメやセクバの状況は変化を見せていくことになります。

セクバの目線、あるいはセクバを応援するファンの目線では、何かこう「行ってらっしゃい」みたいな感覚だったかもしれません。とは言え「『おかえり』と言える日が来るのだろうか」「このまま舞台の人になるのではないか」といった思いは、当時多くの方が抱いていたかもしれません。

どこか颯くんが寂しそうな印象を抱く瞬間も(思い込みかもしれませんが)あったように思いますが、強い思いや固い結束のようなものを、颯くんをはじめとするセクバのメンバーから受け取れたような気がします。

2013年1月18日放送の「ミュージックステーション」(Mステ)はセクゾがスペシャルメドレーを披露した回でもあり、セクバの地上波音楽番組のステージで初めて岸くんが不在となった回でもあります。

この時バックについていた10人のメンバーたちからは「岸くんも頑張っているんだから、自分たちも頑張らなくちゃ!」といった意気込みのようなものを感じ取れた気がするんですよね。これも筆者の思い込みなのかもしれませんが、いつも以上にガシガシ踊るメンバーたちが印象的なステージでした。

ハードに駆け抜けた2013年

2013年の岸くんは、「ハード」という言葉だけでは足りないくらい本当にハードでした。風が吹けば飛んで行ってしまうんじゃないか……?というくらい痩せてペラペラになってしまったんですよね。そんな岸くんの姿を見ただけで、いかにハードな日々を過ごしていたかが分かるような感覚でもありました。

2013年1月2日~6日までは「Sexy Zone 新春アリーナコンサート2013」への出演(2都市7公演)し、その後2月4日からスタートとするSHOCKのリハへと入っていきます。

2012年11月からスタートした「JOHNNYS’ World -ジャニーズ・ワールド-(ジャニワ)」にも出演していましたが、1月に入ってからはジャニワへの出演はなかったんですよね。ところが、1月19日の昼公演で岸くんが突如202号室のマンションに現れます。

しかも『買い物ブギ』は岸颯2トップだったんですよね。『Sexy Summerに雪が降る(セクサマ)』も最前列で踊っており、しばらく間があいていたにもかかわらず完璧な踊りだったことも話題となりました。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~岸颯シンメの変化

さらに2月4日~3月31日まで帝国劇場、4月8日~30日まで博多座でSHOCK公演をこなし、博多座千穐楽の翌日5月1日にはセクボクリエのステージに立っているんです。

セクバのメンバーにとっては「おかえり」という日がやってきた感覚かもしれません。当時「SHOCKのことを、僕の周りの子達にもちょっと教えてあげたい」と語っていた岸くん。その言葉の通り、岸くんが帰ってきてからは通常運転な部分もあり、一方で岸くんの変化を見て周囲が刺激を受けた部分もきっと多かったはずです。

岸くんの2013年上半期(1/1~6/30)コンサート・舞台の出演回数は181日間で、な・な・なんと130公演! 9月にはSHOCK大阪公演が終わり、すぐに少クラ収録(10月分)へ参加していますが、2週連続で『Duバィ』のステージパフォーマンスの際に「脚元よろよろハプニング」に見舞われてました(下記参照)。そんな様子を見ても、本当に2013年はハードだった印象が強いです。

〇10月23日→間奏の後で、バックする際にバランスを崩すものの、颯くんのファインプレーにも助けられセーフ(いわちニヤニヤ)。
〇10月30日→フレンドシップの際、止まり切れず「ズササササー」と横滑り(風磨くんゲラゲラ)。

先ほどちょっとだけお話ししましたが、岸くんは率先して声を出しメンバーを引っ張っていくタイプというよりは、自身の一生懸命な姿、その背中を見せて後輩にメッセージを送るタイプと言えるかもしれません。SHOCKの後に言葉で伝えることはもちろんあったと思いますが、言葉に出さずとも岸くんの姿から周囲が何かを受け取ることもきっと多かったはず。

5月8日のクリエ颯くんバースデー公演では、颯くんと一緒にちょっとだけ『One Love』を歌ったり「颯15歳」というファンの方のうちわをたくさん見つけて会場の温かみを感じたりしていたという岸くん。

SHOCK以降、岸颯シンメでのステージは見られなくなっていきますが、その分、上手側や下手側で隣同士のグッと近い距離で踊ることも多くなりました。

完全にシンクロする瞬間(2013年12月第2週の少クラ『バィバィDuバィ~See you again~』の「おとぎの国みたい~♪」など)もあって、やっぱり岸颯ってすごい!って思った記憶があります。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~岸颯シンメ、セクバ括りの復活

もう見られないと思っていた方も多かったと思いますが、「Summer Paradise 2016『#Honey♡Butterfly』」で久々に岸颯シンメが復活したんですよね。颯くんにとってはジャニーズとしての最後の現場となりました。

この時は岸颯だけでなく、れあむ、松松などのセクバが復活し話題となったんですよね。ケンティーのサマパラは、どうしても「ふまけん8.25事件(流れ星事件/流星事件)」が話題になりがちではあるんですが、セクバファンにとっては彼らを選抜してくれたケンティーに感謝せずにはいられないコンサートでもあります。

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颯くんは2017年春に退所していますが、2018年5月のキンプリデビュー時には、自身のTwitterで「推し(=岸くん)の記念すべき物」と紹介したうえで、3種類すべてのCDを購入した写真をアップしていたんですよね。違う道に進んでもこうした気持ちを持ち続けてくれているんだな~と心がほっこりした瞬間でもありました。

2019年11月に「WATWING」結成、そこで奮闘してきた颯くんも、岸くん26歳のお誕生日1週間前となる2021年9月22日にグループとしてメジャーデビューを果たしました。

また、岸颯シンメの後に颯くんがシンメとなった田島将吾くん。2人は”たじふうシンメ“として愛され、岸くんと同じステージに立つこともありました。そんな田島くんも『PRODUCE 101 JAPAN SEASON2』を経て、INIのメンバーとして2021年11月3日にデビュー果たしています。

たじについては以下の記事で詳しくお話ししています。彼もまたセクバ界隈ではキラキラ溢れるしゃかりきで多くのファンを魅了してきました。

INI田島将吾くんのジャニーズ同期は? トラジャ松倉海斗くん・松田元太くんとの「たじ松松」などJr.時代の歩みやセクバとの関わりをご紹介!

それぞれ歩む道は異なっても、かつてJr.として切磋琢磨してきたメンバー、彼らの一生懸命な姿にたくさんのパワーをもらってきた筆者としては本当に感慨深いです。離れていても、活躍するフィールドが異なっていても、かつての思い出が色褪せることはありません。たくさんの「楽しい」を共有させてもらった日々はずっとずっと忘れないですし、ずっとずっと「ありがとう」という気持ちが失われることもありません。

それぞれの場所でたくさん活躍してほしいという思いはもちろんですが、何かしらの形で共演する機会がもっともっと増えてほしい……なんて思ったりもしています。


Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~壮絶だったSHOCKの現場

セクバの中では一番お兄さんの岸くん。しかし、SHOCKでは一番年下という立場になりました。

先輩方と過ごす密度の濃い時間のなかで、たくさんのモノ・コトを吸収してきたんだなということは、彼の顔つきやダンスの変化を見ただけでも分かるような感覚だったかもしれません。SHOCKの経験を経た岸くんは、おそらく誰が見てもその変化に気づけるくらいに大きく変わった気がするんですよね。

仕事に対する姿勢を「SHOCKで学んだ」と本人が語っているように、ここでのSHOCK抜擢は岸くんのジャニーズ人生において大きなターニングポイント・分岐点となったことは言うまでもありません。

ここまで仕事で大泣きすることは「後にも先にもない」という発言もそうですし、稽古に行くのが辛くて共演者を怖く感じてしまったというエピソード、不安で食事が喉を通らず眠ることもできなかったというエピソードなど、一つ一つを拾い集めていくと本当に壮絶だったんだなぁということを感じます。

セクバに近い周囲のメンバーから岸くんが苦労している様子などを聞いただけで、当時は胸が締め付けられるような感覚もありました。ただ、それを乗り越えたからこそ、岸くんは見違えるほどに成長を遂げたのかもしれません。

SHOCKがなければ今の岸優太はないと言い切る彼の発言からも、いかに大きな経験だったかが分かります。同時にセクバのメンバーたちにとっても大きな刺激となったはずです。


Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~SHOCKの通じての変化

セクバ→SHOCK抜擢第2号となった松倉海斗くん(現Travis Japan)は、SHOCKへ出演してからの岸くんのダンスの変化に言及していたことがありました。岸くんの変化を目の当たりにして、松倉くんは「やる気に火がついた」とも語っているんですよね。

SHOCKが終わり、少クラのステージに立っている岸くんを見た時に、「見せ方が変わったなぁ」と感じる瞬間が多くありました。岸くんの発言を見てみても、ダンスに対する考え方に変化があったことが読み取れるんですよね。

岸くんがSHOCKを通じて学んだものや得たもの。数えきれないほどたくさんあると思うんですが、一番印象深かったのは本人から発信されたこの言葉でしょうか。

「踊りでも伝えられるものがある」

カッコつけるのではなく「ブレないものを持つ」ということが大切だということに気づいたと岸くんは語っていました。

飾ることなく、ありのままの自分をぶつけていく……そうした座長・堂本光一くんのダンスに対する姿勢が、自身の意識に変化をもたらす大きなきっかけとなったようです。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~ダンスに対する意識の変化

SHOCK出演前のダンスを見ても、もともと岸くんは格好で魅せるより全力で気持ちをぶつけるタイプだったと言えるかもしれません。ただ、SHOCK以降に魅せ方が変わったと感じたのは「ダンスそのものに一生懸命取り組む大切さ」だけでなく、ダンスによって「人に何かを伝える大切さ」に目を向けられるようになったことなのかなと個人的には思っています。

そして「全力」という言葉の捉え方が彼のなかで変わったのかなぁなんて思うんですよね。SHOCK後の岸くんは、いい意味で「抜く瞬間」が多くなったように思います。そんな岸くんの変化を目の当たりにして、常に「しゃかりきに」「がむしゃらに」という姿勢は必ずしも「全力を尽くす」ことではないんだなと筆者自身もハッとさせられるような感覚がありました。

岸くんを知った当初からダンスにかける思いは人一倍熱いものがあるんだろうなぁと思っていましたが、SHOCKへの出演をきっかけにダンスに対する考え方や見せ方が変わって、洗練されたような印象でもありました。

Jr.時代(ジュニア時代)の歩み~歌や芝居における成長

ダンスはもちろん、歌やお芝居などでも「格好で見せる」のではなく「全力で気持ちをぶつける」、それによって「何かを伝えられる人になりたい」と語っていたことがある岸くん。

これまで出演したドラマでも自然な演技力が評価されてきましたし、キンプリとしてデビューする前もデビューした後も「歌がうまい」なんて話題になることは多いですよね。

そうした一つ一つの魅力をより輝かせるきっかけとなったのが「SHOCK」と言えるかもしれません。それがキンプリとしての今日の活躍につながっているんだなぁと感じる瞬間がたくさんあります。

★おもなドラマ・映画の出演経歴(※2024年9月現在)

テレビドラマ
仮面ティーチャー(2013年7月~9月放送)日本テレビ 獅子丸 役
近キョリ恋愛 ~Season Zero~(2014年7月~10月放送)日本テレビ 鮎川奏多 役
お兄ちゃん、ガチャ(2015年1月~3月放送)日本テレビ 主演・トイ 役
黒崎くんの言いなりになんてならない(2015年12月22日~23日放送)日本テレビ 梶祐介 役
Rの法則スペシャル 大江戸ロボコン(2017年11月27日~30日)NHK 主演・安室将也 役
ナイト・ドクター(2021年6月21日~9月13日)フジテレビ 深澤新 役
必殺仕事人(2021年1月9日)ABCテレビ・テレビ朝日 明神亥ノ吉 役
すきすきワンワン!(2023年1月24日~3月28日)日本テレビ 主演・雪井炬太郎 役




映画
劇場版 仮面ティーチャー(2014年2月公開) 獅子丸 役
黒崎くんの言いなりになんてならない(2016年2月公開) 梶祐介 役
ニセコイ(2018年12月公開) 舞子集 役
Gメン(2023年8月公開) 主演・門松勝太 役

次ページからの記事後半では、岸優太くんのリーダー論、「謙虚」と「卑下」、人を夢中にさせる魅力、「適当」「テキトー」の意味などについて存分に語っていきたいと思います。

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