【東農大でブーム】Travis Japan(トラジャ)松田元太くんのプロフィールまとめ!歌・ダンス・演技・天然・九九・松松……無限大な“げんげん”の魅力とは?

Travis Japanのメンバーとして、うちゅーいちの笑顔を輝かせている松田元太くん。“げんげん”という愛称で親しまれている彼の魅力はダンスだけではありません。知れば知るほど、げんげんのことがもっともっと好きになること間違いなし!今回は、Travis Japan(トラジャ)松田元太くんのプロフィールや経歴、性格や魅力について、様々なエピソードを交えながら、あげみざわ~なテンションでご紹介していきます。

【東農大でブーム】Travis Japan(トラジャ)松田元太くんのプロフィールまとめ!歌・ダンス・演技・天然・九九・松松……無限大な“げんげん”の魅力とは?

Travis Japan(トラジャ)松田元太くんのプロフィールや魅力、経歴が知りたい!

ファンのみんなをうちゅーいち愛し、ファンのみんなからうちゅーいち愛されているTravis Japan(トラジャ)の松田元太くん。2024年の箱根駅伝では、東農大で「松田元太ブーム」が起きていることも大きな話題となりました。

バラエティでの活躍も光っており、アイドルとの鬼ギャップや振り幅のすさまじさに魅了されている方も多いはず。「九九ニキ」「マツダマン」「ニクサキ」といったイメージを先に知っても後から知っても、どこかのタイミングで「本当に同一人物?」と感じずにはいられない瞬間が訪れるはず。

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そんな松田元太くんは平成の時代に生まれ、平成の時代を、10代という季節をアイドルに捧げてきました。ジャニーズJr.(現ジュニア)の一員として、セクバの一員として、松松として、セク松のメンバーとして、トラジャのメンバーとして……10代の歩みを振り返ると、げんげんの歩みには、たくさんの青春が詰まっています。

そして、令和時代の幕開けよりも一足早く20代の仲間入りを果たしたげんげん。彼の「一生青春」という言葉のように、20代の“今”を駆け抜けるこの瞬間も、30代・40代……と続いていくその先も、希望と信念に満ち溢れた青い春はずっとずっと続いていく予感しかありません。

今回は、そんなTravis Japan(トラジャ)松田元太くんのプロフィールを徹底解剖!入所理由や経歴のほか、2021年に念願の共演を果たしたkemioさんとの関わり、俳優としての顔、繊細な一面など、様々なエピソードを通じて、げんげんの性格やそこから描き出される魅力をたっぷりとご紹介していきます。

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Travis Japan(トラジャ)松田元太くんのプロフィールや入所理由


(画像:フリー素材「写真AC」

まずは、Travis Japan(トラジャ)松田元太くんの基本プロフィール、入所理由、同期メンバー、オーディションでのエピソードなどを見ていきましょう!

名前 松田元太(まつだげんた)
生年月日(誕生日) 1999年4月19日
出身地 埼玉県
血液型 O型
身長 169cm
兄弟 妹(8歳下)
入所日/入所時の年齢 2011年2月10日/11歳
同期 ※2011年2月or3月入所 松島聡(Sexy Zone)※2月6日入所、矢花黎(7 MEN 侍)※2月6日入所、菅田琳寧(7 MEN 侍)※3月20日入所
あだな・ニックネーム げんげん、げんた など
メンバーカラー

【入所理由】山田涼介くんとの出会い

2011年2月10日にジャニーズ事務所へ入所した松田元太くん。Hey! Say! JUMP山田涼介くんに憧れたことがきっかけとなり、ジャニーズとしての道を歩み出します。

SMAP好きのお母さんに影響され、“メンバー振り”をマスターするほど音楽番組をよく見ていたというげんげん。小学4年生の頃に参戦したJUMPのコンサート(「Hey! Say! JUMP TENGOKU DOME 何が起こるかわからない!? 東京ドーム」)でキラキラ眩しい山田くんと出会い、「ここに入りたい!」という気持ちが強くなっていきます。

しかし、「山田くんを目指す」という夢だけではなく、元太くんには「プロサッカー選手になる」という夢があったんですよね。小学生の頃は本気でJリーガーを目指し、サッカーに打ち込んでいました。

ここでの“大きな選択”があって、今のげんげんがある……彼自身も「平成一の大きな選択」と語っているように、これが元太くんにとってのターニングポイントとなったことは言うまでもありません。

ちなみに……2021年にカリスマ動画クリエイター・kemioさんとの念願の共演を果たし、夢を叶えた元太くん。元太くんが小学4年生の時に参戦したJUMPの東京ドーム公演には、kemioさんがバックJr.として出演していたことが分かり、ファンの間でも話題となりました。

実は、ジャニーズに合格したのはkemioさんの兄だったそうで、kemioさん自身は「受かっていない」と話しています。ただ、兄弟でどちらが合格したか分からなかったという経緯があり、一緒に付いていく→そこで兄が合格と分かる→「せっかくだから」とkemioさんもコンサートに出演するという流れだったようです。

“けみげん”については、後ほど別の見出しでご紹介したいと思います。

【入所理由】平成一番の大きな選択

高校でサッカー部だったお父さんと、その部のマネージャーだったお母さんが恋に落ち、結婚してげんげんは生まれました。だから自分は「サッカーをやる運命だった」と話していたこともありましたね。

4歳頃には、お父さんに教えてもらいながら公園でサッカーボールを蹴っていたそう。その後、小学2年生になりサッカー少年団へ入団。県ベスト8の実力があるチームでサッカー漬けの日々を過ごしていたと言います。

この頃は物静かなサッカー少年だったそうですが、小4からはキャプテンを務めていたそうで、埼玉県のU-12選抜に選ばれるほどの実力の持ち主だったことでも知られています。

本気でプロのサッカー選手を目指していたというげんげん。夢中になるとそれしか見えなくなるという彼を振り向かせ「プロのサッカー選手になりたい」という気持ちを揺るがすほど、山田くんとの出会いは大きなものだったことがうかがえます。

ジャニーズのオーディションが行われた日は、大事なサッカーの決勝戦が行われる日でもあったんですよね。げんげんはオーディションへ参加し、その後にサッカーの試合に戻ったというエピソードがあります。

この時オーディションに参加していなければ、げんげんの“今”はなかったのかもしれません。ジャニーズになっていたとしても、げんげんの歩む道は異なっていたのかもしれません。

ここでの大きな選択があったからこそ、Travis Japanの松田元太としてキラキラ輝き続ける“今”につながっています。

ちなみに……お母さんの名前は「アキ」で、夏が終わるとお母さんの季節がやってくるなんて話していたこともありましたね。また、げんげんには8歳下の妹がいますが、ずっと妹が欲しかったという元太くんは、毎年七夕やクリスマスに「妹が欲しいです」ってお願いしてたなんて微笑ましいエピソードもあります。

念願の妹が生まれた時に一緒に撮った写真を雑誌で公開していたことがありましたが、本当に本当に嬉しそうな表情のげんげんがすごく印象に残っています。

同期のメンバーは?

元太くんの(ほぼ)同期として名前が挙がるメンバーには、Sexy Zoneのメンバーであり、Sexy 松(Show)として活動をともにした松島聡くん、7 MEN 侍の矢花黎くんや菅田琳寧くんなどがいます。プロフィール欄にも掲載していますが、げんげんの入所した時期のメンバーは、入所した日だけでなく月も異なる点が特徴です。

トラジャのメンバーであるトリプルカイト(松倉海斗くん・宮近海斗くん・中村海人くん)に目を向けてみると、彼らの入所日はいずれも2010年10月30日。史上最大級とも言える大量入所の時期として知られていますが、多くのメンバーが同日に固まっています。

ちなみに10月23日入所のJr.(現SpeciaLの林蓮音くん、ボーイズグループ・7ORDERの阿部顕嵐くん)もいますが、1週間ほどの差が見られるのは、どの時期の入所組にも共通していることかもしれません。

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この時は、当初3月14日に少年収(「ザ少年倶楽部」の収録)が行われる予定だったものの、震災のため中止。しかし、「被災地に住むファンの人たちを元気づけてほしい」「エールを送ってほしい」という声がたくさん届いたため、観覧や番協なしで急遽収録が行われるような流れだったようです。

そのリハや収録が3月20日だったのかどうかは分かりませんが、2011年4月8日放送分(急遽収録が行われた分の第1週放送)が、聡くんや元太くんにとっての初少クラとなりました。

また、琳寧くんによると、この時のオーディションには100人くらいが参加していたそう。午前の部と午後の部があり、参加者はA・B・Cのパターンに分けられていたようで、元太くんがAにいたことを覚えているなんて話していたことがありました。

そんな琳寧くんは、この時のオーディションを含め2回(もう1回は本髙克樹くんと同じ2012年)、矢花くんは3回(2011年、2012年、2015年)オーディションを受けているんですよね。

オーディションが2011年2月にあって、そこに元太くんをはじめとするメンバーが参加したことは間違いないようですが、そこから「合格した」「Jr.になった」といった基準が明確ではないため、それぞれバラバラの入所日になっているという感じかもしれません。

ちなみに……聡くんとは会ってすぐに仲良くなったという元太くん。一緒に仕事に行ったり、「頑張ろう」と熱く語ったりとしたなんてエピソードもあります。

出会った当時を振り返って、聡くんについて「めっちゃいいやつ」と話していたこともすごく印象的でした。

オーディションでのエピソード~ジャニーさんとの出会い

相方の松倉海斗くんによると、オーディションでの元太くんは「黒髪」「センター分け」「サラサラヘアー」の童顔少年で、オレンジのサッカーユニフォームを着用して、無邪気に踊っていたそう。

そんなユニフォーム姿の元太くんを見て、ジャニーさんが話しかけてきたんですよね。元太くんと以下のようなニュアンスの会話が繰り広げられたようです。

「YOU、ゲンタって言うの?」
「何で(ゲンタって)分かったんれすか?」
「バカだね~、後ろに書いてあるよ」

実はサッカーのユニフォームには自分の名前が入っていたそうで、それを見てジャニーさんは「ゲンタ」という名前を把握したんですよね。ところが、元太くんは名前が入ったユニフォームを着ていたことを忘れ、素直にびっくりしたような反応をしてしまったようです。そんなピュアで純粋さに溢れるげんげんの反応は、何となく容易に想像できてしまうような気がします。

ジャニーさんに「バカだね~」と言われたことを、当時は「怒られた」と思ってしまったという元太くん。「あぁ終わった……」と思ったなんて当時を振り返っていましたが、こうした出来事がオーディション合格を手繰り寄せる一因となったのかもしれません。

松倉くんが「無邪気に踊っていた」と話していることや、入所後のコンサートで振付師さんに「お前は絶対に上に行く」「だから頑張れ」と声をかけてもらったというエピソードからも分かるように、やはり当時からキラキラと光るものや目を引くものがあったんじゃないかなと強く感じるんですよね。入所後にステージで踊る元太くんの姿を見ていても、そんなことを思わずにはいられません。

松倉くんの記事では、ダンスについて本人の発言をもとに見ていくと『しゃかりき期』→『パッション期』→『シンクロ期』に分けられるとご紹介したことがありました。松倉くん本人も雑誌で「セクバ」という言葉を使っていたので、『しゃかりき期』=『セクバ期』と考えてもいいかもしれません。

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そうしたものを踏まえて、入所~セクバとして認識されるまでの時期を筆者は勝手に『先しゃかりき期』と呼んでいるんですが、元太くんの『先しゃかりき期』にあたる(であろう)時期に目を向けてみても、後に松松をイメージさせる「しゃかりき」とは異なるかもしれませんが、やはり目を引くものがあるなぁという印象なんですよね。

『しゃかりき期』という言葉に代表されるような、弾ける果汁のように体を大きく使って、とびきりの笑顔で……というイメージではなく、とにかく「一生懸命さ」「実直さ」が前面に出ているような印象なのが、げんげんの『先しゃかりき期』というイメージでした。

一つ一つのステージを大切にしていることが姿勢や表情から見えてくるような感じ……それがシンプルにまっすぐ響いてくるようなイメージでしょうか。

黒髪をなびかせながら一つ一つの振りを大きく丁寧に踊る姿に魅力を感じ、どこで踊っていても思わず惹きつけられてしまうような、応援したくなるような要素が散りばめられている印象でした。

オーディションでのエピソード~オーディション曲

元太くんのオーディション曲は、後にSexy Zoneの楽曲となる『スキすぎて』の原曲。当時は「風を集めて舞い上がろう~♪」という歌詞のダンスナンバーだったそうで、数か月前に入所していた佐藤勝利くんが、元太くんを含めたオーディション組にダンスを教えていたというエピソードもあります。

『スキすぎて』と聞くと、2019年8月のサマパラでの松松、特に「キス」について当時ザワザワしたことを思い出す方も多いかもしれませんね。

『スキすぎて』は少クラのステージなどで何度も披露されている楽曲で、元太くんの歩みを振り返るなかでも欠かすことのできない、様々な思い出が詰まっている楽曲の一つと言えるかもしれません。

そういえば……げんげんが後方のドセンターで『スキすぎて』を踊っていたことあったなぁという記憶がふと思い起こされました。探してみると、おそらく2012年8月29日の少クラがその回だったようです。

後ほど松松の見出しでご紹介しますが、2012年の夏は松松がシンメとなった時期でもあり、このあたりの少クラは松松がシンメでステージに立つことも多くありました。そうしたなかで「ドセンター」で踊っている元太くん、隣に松倉くんがいる光景(シンメではない光景)というのが印象に残っていたのかもしれません。

「げんげん」×『スキすぎて』は、ニコニコと楽しそうに弾むように、黒髪をなびかせながら手をクルクルさせる→その後に手でハートを作る→ハートを弾けさせる振りが好きです。

Travis Japan(トラジャ)松田元太くんの経歴や歩み


(出典:Pixabayより)

セクバとしての歩み

オーディションを経て、念願のジャニーズ入所を果たした元太くん。入所後初めて出演したステージは、なんとHey! Say! JUMPのコンサートだったそう。

本番前にJUMPメンバーとハイタッチするチャンスがあったそうですが、他のJr.たちがグイグイと行くなかで前に出ることができず、そのまま本番が始まってしまったというエピソードがあります。

今の“コミュ力おばけ”な元太くんからはあまり想像ができない光景でもありますが、この“ほろ苦デビュー”を味わったからこそ、「前に出なくては!」ということを身をもって感じられたと言えるかもしれません。

同期である聡くんがSexy Zoneとしてデビューしてからは、彼らのバックで踊るJr.(=セクバ)としての活動が多くなっていきます。セクゾのバックについているJr.を「セクバ」と捉える場合もありますが、バックにつくJr.がある程度固定されるようになってからは、特定のメンバーで構成されるJr.たちを「セクバ」と呼ぶことが多くなっていった印象でしょうか。

げんげんは、セクゾのデビューシングル『Sexy Zone』のMVや、セクゾが地上波初登場を果たした「ミュージックステーション」(2011年11月11日放送)などなど、セクゾのデビュー当初からバックにつく機会が多くありました。

しかし、セクバの主要メンバーとして認識されたのは、松松がシンメとなった2012年の夏以降というイメージが強いでしょうか。8/6のSUMMARY初日からシンメとしてステージに立ったため、同日が松松結成記念日となっています。

現7 MEN 侍・中村嶺亜くんのプロフィール記事などでもご紹介していますが、セクバは「きしっくす」に始まり、松松(松倉海斗くん・松田元太くん)や本髙くん、宮近くん(※トラジャから出張)……と、規模を拡大していったようなイメージでしょうか。

セクバがどこまで続いたか、どこまでがセクバなのか……というのは少し微妙なところもありますが、松松を中心にセクゾデビュー5周年あたりまでに目を向けていくと、“松松たじふうれあむ”や“天才松松”など……様々な組み合わせや括りが思い出として刻まれているなぁという印象でもあります。

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元太くんもまた、セクバに欠かすことのできない大切な存在として、セクゾのデビュー当時から駆け抜けてきました。

もちろん、KAT-TUNやKis-My-Ft2をはじめ、様々なグループのバックダンサーとしてステージに立っていますし、Sexy松(Show)としての活動やドラマ・バラエティ番組への出演、滝沢歌舞伎やEndless SHOCK、ミクロワールド・ファンタジアへの出演、トラジャへの加入、トラジャ加入以降の活躍などなど……単なる「セクバ語り」でげんげんの全てを網羅することはできません。

トラジャのメンバーとして念願のデビューを果たし、げんげんがトラジャとして歩んでいく「未来」を見据えると、おそらくもっともっと網羅できなくなっていくと思います。ただ、セクバとしての歩みや経験、そして何よりもセクバとしてともに歩んできた運命的なシンメとの出逢いがあったからこそ、今のげんげんがあると言っても過言ではありません。

やはり、元太くんの原点を語る上では、この「セクバ」の時期が欠かせないなぁということを感じます。

ちなみに……宮近くんがトラジャからの出張という形でセクバとしてステージに立っていた時期も懐かしいですね。この時には、松松がトラジャに加入する日が来るとは誰も想像できなかったはず。

余談になりますが、個人的には、少クラでの元太くんと宮近くんの「頭ごっつんこ事件(筆者が勝手に名付けています)」がすごく印象に残っています。

それが、2013年11月6日のザ少年俱楽部でセクゾが『バィバィDuバィ~See you again~』を披露した時。ステージ向かって左後方に横並びで立っていた2人が、最後の「サンキュ~♪」の振りのところで頭をごっつんこしてしまうんですよね。ニコッとしながら元太くんを見る宮近くんという光景も微笑ましいものがありました。

翌月第1週の少クラ(12月4日放送)でも同曲が披露されたんですが、この時には元太くんが「今日はぶつからないれす!」と言わんばかりに、ニコっと宮近くんをチラ見していました。

この「頭ごっつんこ事件」を見ると、何かこう……ストーリーとしてつながっているような印象を受けたのと同時に、一つ一つのステージを大切に胸に刻んでいることが分かるような光景だった気がして、心がほっこりしたんですよね。

家族やファン、仲間や相方、お仕事……げんげんとヒト・モノ・コトの関わりを見ていくと、そうした一つ一つのものを「大切に」携えながら今を駆け抜けているんだと分かる瞬間って多いなぁと感じます。

運命のパートナー・松倉海斗との出逢い

げんげんを語る上では、やはり、相方である“まつく(松倉海斗くん)”の存在を欠かすことができません。ただ、今回は松田元太くんのプロフィール記事ですし、一度“松松シンメ”を語りだすと一晩中……いや、1週間ぐらいは語ってしまいそうなので、ここでは駆け足でご紹介していきたいと思います。

松松が入所した時期は3か月半ほど異なり、セクゾデビュー時の状況などを見ても2人のスタートラインは異なる位置にあったと言えるかもしれません。ただ、負けず嫌いな性格や無限大の向上心で、たくさんの笑顔や汗を輝かせながら頑張ってきました。そして、いつしか互いを引き付け合うようにシンメとなったんですよね。

これだけでも“運命的”と言いたくなりますが、この段階で「運命」という言葉を使ってしまうと、この先の松松を取り巻くドラマティックなストーリーにどんな言葉を使えばいいのか分からなくなるはず。それくらい、松松シンメは揺るぎない存在となっていきます。

揺るぎないものになった松松

シンメを結成してからは、“しゃかりきダンス”を持ち味としてきた2人。一度見たら絶対に忘れることのない気持ちよさや爽快感に溢れるダンスは、勝利くんをしゃかりきダンスにさせてしまうほど圧倒的存在感を誇っていました。端で踊っていても、すぐに「松松だ!」と分かるくらい、いつでもどこでも全力な姿がありました。

「色んなことがあると思うけれど、一緒にしゃかりきダンスで乗り越えていこう」と、思いを共有していたこともありましたね。様々な経験を通じて「しゃかりきに」「がむしゃらに」という思いは少しずつ変化を見せていくことになりますが、「一緒に乗り越える」という言葉が示すように、松松はどこまで行っても松松なんです。

一緒の道を歩むことが、どこか当たり前のように感じつつありますが、2012年の夏からずっと「松松」という言葉が私たちの身近にあって、いつしか揺るぎないものになって……2人の歩みを知れば知るほど、松松について考えれば考えるほど、やっぱりすごいなぁと感じてしまいます。どちらかについて語りだせば、いつしか「YMMK」という結論にたどり着いてしまいます。

1997年11月14日生まれの松倉海斗くん
1999年4月19日生まれの松田元太くん

それぞれの生年月日を足していくと、2人がTravis Japanとして寅年の2022年にデビューする未来もまた、はじめから決まっていたのかなと思わずにはいられません。

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松松史上最大のケンカ事件

思えば、2か月間にわたり口を聞かなかった「松松史上最大のケンカ事件」もありました。

現INIの田島将吾くんも松松ゲスト回のフロイニで、この事件を指すであろう松松の「マジでしゃべんない(時期)」について話していましたね。ラジオについては、たじの記事でたっぷりとご紹介しています。

INI田島将吾くんのジャニーズ同期は? トラジャ松倉海斗くん・松田元太くんとの「たじ松松」などJr.時代の歩みやセクバとの関わりをご紹介!

当時は松松のケンカが絶えなかった時期があって、「軽いケンカ状態」→「仲直り」→「軽いケンカ状態」→「仲直り」みたいな流れが出来上がっていました。ケンカ中であることを雑誌で報告→次月号の雑誌で仲直りを報告……みたいな感じで、一ファンとして松松の状況を雑誌で確認していた記憶があります。松松史上最大のケンカもまた、その流れと連動するようなイメージで、本当に些細なことが原因だったようです。

ある日、元太くんの言葉にカチンときた松倉くんが、元太くんの行動などで気に入らない部分もあって、距離を置くようになったところから始まります。もう少し詳しく話すと、コミュニケーションをとりたい元太くんがちょっかいを出す→ナメられていると思った松倉くんが「いつもふざけて何なの?」とイラっとするといった流れだったようです。

ずっと一緒にいるからこそ、相手のいいところだけでなく、悪いところも見えてしまうと話していた松倉くん。他の子であれば許せることも、シンメの元太くんに対しては許せないこともあったと話していたんですよね。

松倉くんが距離を置きはじめてからも、元太くんは普通に話しかけようと試みていたそう。一方の松倉くんは、シンメとして必要最低限のことを話すのみだったんですよね。楽屋に一番乗りすることも多かった松松は、この時期、楽屋に2人きりになっても「2時間沈黙という日もあった」と後に振り返っています。

そんな松倉くんの様子を見つつ、原因が自分にあることを分かっていた元太くん。「まつくとケンカしたことがショックで、ひとり泣いていた」と話していたことがありました。そんな元太くんはノートを購入し、自分のダメなところを30個ほど書き出します。まつくが何に対して怒っているのかを考えながら、一つ一つの項目を〇・△・×で採点したんですよね。

松松ケンカの時期は、ちょうど舞台「JOHNNYS’ 2020 World」期間中でもありました。口を聞かない状態が長く続き、舞台がちょうど折り返しに差しかかった頃、元太くんが「このままじゃ松松が良く見えない。こんな松松をファンの人に見せたくない」と松倉くんに言います。松倉くんも自身の大人げなさを反省し、そこから2人で話し合いをして、松松史上最大のケンカ期間は終わりを告げることとなりました。

『スワンソング』のステージ

「松松史上最大のケンカ」とセットで話題になるステージパフォーマンスがあります。それが、2014年1月のザ少年倶楽部で放送された『スワンソング』。少クラでは初めて「松松メイン」で披露された曲でもあります。実はこのステージが披露されたタイミング=松松史上最大のケンカ時期と重なっているんですよね。

この期間のステージや絡みを見れば見るほど「本当に口を聞かないほどのケンカをしていたの?」と思ってしまいます。絶賛ケンカ中でも、ステージ上の“松松”はやっぱり“松松”なんですよね。

ここから4年の月日を経ての『スワンソング』もまたアツいものがありました。そんな『スワンソング』は、松松のテーマソングとも言える大切な楽曲の一つです。

このケンカしていた時期について、コロナ禍の生活様式と重ね合わせていた元太くん。当時の2人の間には目に見えないアクリル板があったこと、ディスタンスをとっていたこと……その上で、今の松松であればそうならないという自信を口にしていました。

史上最大のケンカ事件の時は元太くんが中2、松倉くんが高1。気づけば2人とも20代になりました。色んな経験・想い・景色を共有し、松松の絆はより深いもの、揺るぎないものになっていったんですよね。「離れる」という選択肢が絶対にないと思えるくらい、お互いがお互いにとってかけがえのない存在になったことは言うまでもありません。

げんげんを突き動かしたまつくの存在

これまでの松松の歩みに目を向けた時に、「げんげんにとってのターニングポイント」という視点でご紹介したい出来事が、まつくの「Endless SHOCK」抜擢。げんげんの歴史を語る上で「セクバ」と同じように欠かせないのが、この「SHOCK」だと思います。

松松はずっと一緒だったわけではなく、まつくがSHOCKへ抜擢された2015年の夏以降、1年ほどはそれぞれのフィールドで頑張る時期がありました。

まつくに会うために、自費で大阪まで「SHOCK」見学に行ったげんげん。大切なシンメの頑張っている姿に、公演前も公演中も公演後も涙が止まらなかったと言います。ただ、この涙には「感動」や「嬉しい気持ち」だけではなく「悔しさ」なども交錯した複雑な想いが含まれていたんですよね。この出来事……まつくという大切な存在が、げんげんを突き動かしたとも言えるかもしれません。

客席で見ていたげんげんが、歌のみのオーディションを勝ち取り、まつくと一緒に「Endless SHOCK」の舞台に立つ。

しかも、座長の堂本光一くんは松松がシンメだと知らない状況で2人を抜擢。

さらには、2人一緒にTravis Japan(トラジャ)に加入。

これ以上の展開はあるのかなと思ってしまうくらい、フィクションのようなノンフィクションの展開になってしまうのが、松松ストーリーなのです。

Travis Japan(トラジャ)として

トラジャ加入についての話が2人に持ちかけられる前日、松松はたまたま「グループに入りたいね」なんて話をしていたというエピソードがあります。それが現実になるかもしれない展開になって、2人も驚いたと振り返っていたことがありました。

「これからも松松としてやっていく」
「松松が離れることはない」

そうした思いを共有していたものの、2人ではどうしても限界な部分があって、どうすればいいのか分からずにいて……そうした流れから、グループに入りたいという話になったようです。

七五三掛龍也くんは、ムードメーカーの松松が加入したことによって、グループに光が入ってきたと話していたことがありました。

2人暮らしだった松松にとっては、トラジャという大きなおうち、トラジャという素敵な家族ができました。松松を迎え入れてくれたメンバーやファンの温かさ、優しさを感じていくなかで、様々な「ありがとう」の気持ちが溢れ出してきたのは、きっと筆者だけではないはずです。

2人に期待されていたもの=「ダンス」であったことは間違いありませんが、加入してからのメンバーの言葉を見ていくと、ダンスだけではない様々なプラスの影響をもたらしたんだということが分かります。

元太くんにスポットを当てて見ていくと、川島如恵留くんの「殻や鎧を引っぺがしてくれた」という言葉が印象的かもしれません。「かっこよく見せたい」「凛々しくありたい」と思っていた如恵留くんに、作り込んだ自分を脱ぎ捨てたほうが楽だと気づかせてあげたのが元太くんなんですよね。

はじめは、自分のダメな部分を発信する元太くんに対して抵抗していたという如恵留くん。それが次第に、元太くんに対する感謝の気持ちへと変化していきました。

如恵留くんの立場を考えたときに「ちゃんとしなきゃ」という思いがあったのではないかと考えていた元太くん。そのうえで、如恵留くんが作り込んできたものを剥がせば自由になれること、みんなも変わること、みんなの幅が広がって楽しくなること……本当に色んなことを考えて行動しているんだなぁということが分かります。

松倉くんが心を動かされた元太くんの言葉(グループ=団体競技なんだということ)をはじめ、様々なものを拾い集めていくと、元太くんが色んなことに考えを巡らせていること、トラジャやトラジャのメンバーが本当に大好きなんだということがひしひしと伝わってきます。

宮近海斗くんが「自分から何かを話し出すときに、わざとぶっきらぼうなことを言う」なんて元太くんについて話していたことがありました。ただ、そうした部分を踏まえつつ、本当は心優しい人なんだと結んでいることからも分かるように、優しさや温かさに溢れている人なんだと分かる瞬間って多いんですよね。

次ページからの記事後半では、Travis Japan(トラジャ)松田元太くんの魅力をたっぷりとご紹介!

夢を叶えたkemioさんとの共演、オーディションで勝ち取ったフジテレビの月9ドラマ「監察医 朝顔(第2シーズン)」への出演などのエピソードを通じて「愛されるために生まれてきた」元太くんの人間的魅力に迫っていきたいと思います。また、元太くんの「繊細さ」についても考えてみたいと思います。もう少しお付き合いいただけると嬉しいです!

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