Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんのプロフィールまとめ!松松なくして語れない“まつく”の魅力とは?

笑顔の花を咲かせ、私たちにたくさんの元気・パワーを届けてくれるTravis Japan(トラジャ)松倉海斗くん。彼のこれまでの歩みに目を向けると、変わるもの・変わらないもの……そのどちらにも、松倉くんの魅力がたくさん隠れていることに気づかされます。今回は、Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんのプロフィールやエピソード、松松語りを交えつつ、まつくの魅力に迫っていきます。

Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんのプロフィールまとめ!松松なくして語れない“まつく”の魅力とは?

Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんのプロフィール・魅力が知りたい!

たくさんの笑顔を輝かせ、私たちに元気やパワーを届けてくれるTravis Japan(トラジャ)松倉海斗くん。入所当時は中学生だったまつくも、気づけばハイボールを飲み、車を運転し、一人で海外旅行にまで行ってしまうぐらい大きく成長しました。

ジャニーズとしての歩みに目を向けると、変わるもの・変わらないもの……そのどちらにも松倉くんの魅力がたくさん隠れているんですよね。そしてそして、まつくを語る上では、運命のパートナー・松田元太くんの存在を欠かすわけにはいきません。

今回は、Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんのプロフィールやエピソードをご紹介しながら、その魅力に迫っていきます!

Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんの基本プロフィール


(画像:PhotoAC)

まずは、Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんの基本プロフィール、入所理由、同期のメンバーをご紹介していきます!

名前 松倉 海斗(まつくら かいと)
誕生日 1997年11月14日
出身地 神奈川県
血液型 O型
身長 163cm
あだな・ニックネーム まつく
兄弟 妹(4歳下)
入所日/入所時の年齢 2010年10月30日/12歳
同期 ※同日入所 宮近海斗・中村海人(Travis Japan)、佐藤勝利(Sexy Zone)、神宮寺勇太(King & Prince)、目黒蓮(Snow Man)、原嘉孝、根岸葵海、今村隼人
メンバーカラー オレンジ

入所理由は?

2010年10月30日、中学1年生(12歳)の時にジャニーズ事務所へ入所した松倉海斗くん。2009年に行われた嵐のデビュー10周年記念ツアー『ARASHI Anniversary Tour 5×10』を見たこと、そこで嵐の5人がキラキラと輝く姿に感動し、いつか自分も同じステージに立ちたいという思いが芽生えたんですよね。

松倉くんが入所して間もない頃でしょうか。「嵐のように、歌や踊りだけではなくファンに思いを伝えられるような存在になりたい」と話していたことが印象に残っています。そのくらい『ARASHI Anniversary Tour 5×10』での嵐との出会いは大きなだったんだなぁと感じるんですよね。

「スーパーアイドルになりたい!」という強い意志を持って、自分で履歴書を送付した松倉くん。ここから、まつくのジャニーズとしての歩みがスタートします。

同期のメンバーは?

松倉くんの同期には、同じくTravis Japanのメンバーとして活躍する宮近海斗くん・中村海人くんをはじめ、Sexy Zoneの佐藤勝利くん、King & Princeの神宮寺勇太くん、Snow Manの目黒蓮くん、原嘉孝くん、根岸葵海くん、今村隼人くんがいます。

同期メンバーのプロフィール記事でもすでにご紹介していますが、“ちゃかちゃん”こと宮近くんが「こんなに入れたことない」とスタッフさんに言われたエピソードがあるほど、たくさんのJr.が入所したオーディションとしても知られているんですよね。オーディション当日は集合時間ギリギリになってしまったそうで、走って会場へ向かったというエピソードもあります。

かつては松倉くんが2010年10月23日入所という情報もあったため、23日と30日の両日をお祝いしている人、その1週間を入所ウイークとして捉えていた人も多かった印象です。2010年10月入所組は「30日入所」というメンバーが多いですが、林兄弟(林拓音くん&林蓮音くん)のように、23日が入所日となっているメンバーもいます。

勝利くんによると、この時のオーディションは参加者が多かったために、3日に分けてオーディションが行われたそう。3日間で合わせて300人ほどの参加者がいたようです。

一方で10月23日に入所したメンバーの話によると、オーディションには1000人の参加者がいたなんて話もあるんですよね。1000人という数字が23日単独の数字であるかどうかは定かではありませんが、2010年10月のオーディションは人数が多かったために、2週に分けて行われたという話もあるようです。

2週に分け、さらにそこから3日間に分散したのかなど真相は明らかではありませんが(筆者のリサーチが不足しているだけかもしれません)、このあたりはけっこう曖昧な部分も多い印象です。そのため、松倉くんの入所日についても2つの説が存在していたのかなという印象でもあります。

現在は10月30日入所に落ち着いている感じでしょうか。いずれにしても、2010年10月は「こんなに入れたことない」となってしまうくらいに参加者も多かったと言えるのかもしれません。

この時のオーディション曲は、Hey! Say! JUMPの『「ありがとう」~世界のどこにいても~』。ありせかは同年の東西歌合戦のほか、少クラ初ステージ(2011年1月21日放送)で踊った楽曲でもあります。

2010年10月30日入所組の多くは「ジャPAニーズHi!」というユニットに所属しており、松倉くんもまた、その一員としてキラキラと存在感を放っていた印象でもありますね。

ジャパハイの代表的なステージとして挙げられる『マルイチカラ』(2011年2月4日放送)でも、まつくの初々しいパフォーマンス姿を楽しむことができます。

同期・宮近海斗くんとのエピソード

同期であり、同じ97年生まれであり、今はトラジャとして活動をともにする宮近海斗くん。入所してまだ4~5回しか会っていない頃、宮近くんに悪口を言われたというエピソードがあったりもします。嫌な奴だと思ったという松倉くんですが、やがて同じ現場で活動していくなかで仲良くなっていったようです。

セクバ(宮近くんはトラジャからセクバへ出張)として活動をともにするようになり、気づけば同じ高校で同じクラスにもなりました。当時を思い返すと、Sexy Zoneが『Sexy Summerに雪が降る』を披露した「FNS歌謡祭」(2012年12月5日放送)のあたりから、宮近くんの出張がスタートした感じでしょうか。

当時「しゃかりきダンス」が代名詞だった松倉海斗くんの隣に「もう一人しゃかりきっぽい子がいる……!」と話題になったのが宮近くんだったんですよね。そこから様々な出来事を経て、Travis Japanというグループで活動をともにする運命を歩んでいきます。

出会った頃はマイナスの空気が渦巻くエピソードもあった2人ですが、最近(記事更新時点、2021年11月14日)では、松倉くんが宮近くんと手をつなごうとする→宮近くんが松倉くんにペシっとツッコミを入れつつ、満更でもなさそうな様子を見せるというザワザワ案件がありました。突然“ちゃかまちゅ”が供給されることって多いんですよね。

当時のエピソードと対比させると、今の“ちゃかまちゅ”の関係性って何かこう……いいなぁ、すごいなぁ(語彙力を失ってしまい申し訳ありません)という思いがひしひしと込み上げてくるような感覚でもあります。

松倉くんは「Jr.になれた理由」として、オーディション時の“ある思い出”を挙げていたことがありました。多くの参加者がいたというオーディション。そのなかで必死に踊り、前列に入れてもらえたこと……それが深い思い出として心に残っているようです。

ここでの経験や思い出を起点として、「しゃかりき」と呼ばれるダンスが確立・洗練されていったと言えるかもしれません。ここからは、いくつかのテーマに分けて、松倉くんの足跡をたどっていきたいと思います。

Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんの歩み~しゃかりき期~


(画像:PhotoAC)

松倉くんの発言をもとに「ダンス」という視点で“松倉年表”を作成すると、『しゃかりき期』→『パッション期』→『シンクロ期』の大きく3つに分けることができそうです。『しゃかりき期』は『セクバ期』とも言い換えられるかもしれませんね。

松田元太くんのプロフィール記事と同じような展開になってしまうんですが、やはり松倉くんを語る上でも、「セクバ」としての歩みや経験、そして何よりも、“運命的なシンメ”との出逢い・歩みを欠かすわけにはいきません。

セクバの誕生とセクバとしての出発

2011年11月16日、松倉くんが14歳のお誕生日を迎えた直後にSexy ZoneがCDデビュー。そのバックについて踊るJr.たちは、ファンの間で「セクバ」と呼ばれるようになります。

「今日のセクバは……」といったように、バックについているJr.を「セクバ」と呼ぶこともありましたが、初期の「きしっくす」や「神7」に代表される、セクゾのバックについている固定メンバーを「セクバ」と表現することも多くなっていった印象です。

セクゾのバックについているかどうかは関係なく、彼らがメインとなって披露されるステージであっても「セクバのパフォーマンス」という認識が強くなっていった感じでもあります。

松倉くんを語る上で『セクバ期』を欠かすことはできませんが、実はセクゾデビュー時から「セクバ」として活動していたわけではないんですよね。

少クラを見ると、分かりやすいかもしれません。デビュー曲『Sexy Zone』も、はじめはMV出演Jr.が中心となってバックについている印象がありました。ただ、2012年に入ってからは、『Sexy Zone』=松倉くんがいること、もっと言えば、松松がそろっていることが当たり前のようになっていくんですよね。

初期のセクバメンバーと一緒にステージに立つことも多くなり、松松がシンメになったことで、セクバとしての認識がより強固なものになっていった印象でもあります。

しゃかりきな姿勢

入所したての頃は、なかなか出番に恵まれなかったという松倉くん。とにかく“しゃかりき”に頑張っていたそうで、ある日、そのダンスがジャニーさんの目に留まったんですよね。

ジャニーさんからは、自身のダンスについて「アメリカンだよ!」「最高だよ!」と声をかけてもらったそう。それがきっかけとなり、松松シンメの誕生、セクバとしての活躍につながっていったと本人も振り返っています。

当時は「アメリカン」の意味を深く捉えてはいなかったようですが、後に深く考えを巡らせることがあったという松倉くん。“しゃかりき”に頑張る姿にパッションのようなものを感じ取ってもらって、だからこそ「アメリカンだよ!」という言葉をかけてもらったのかなと考えているようです。

「アメリカン」には色んな解釈があると思うんですが、Travis Japanの一員として活躍する現在も、ダイナミックなダンスはもちろん、例えば発言だったり、リアクションだったり、服装だったり……色んな場面・瞬間で、「アメリカンだなぁ」って感じることって多い気がするんですよね。

入所当時の「アメリカン」とは少し違うのかもしれませんが、年齢を重ねていくにつれて、松倉くんにピタッとはまっていく表現になっていく感覚がより強くなっているような気がします。履歴書の写真を見ただけで10年後の顔が分かるというジャニーさん。もしかしたら、10年後に松倉くんがより洗練されたアメリカンになっていることも分かっていたのかもしれません。

『しゃかりき期』=『セクバ期』とご紹介しましたが、オーディション時も含め、“しゃかりき”に頑張ってきた松倉くんのエピソードに触れると、セクバになる以前から『しゃかりき期』はスタートしていたのかな……なんて思ったりもします。

ただ、「ダンス」という視点で見れば、やはり『しゃかりき期』=『セクバ期』なのかもしれません。ということで、筆者は入所~セクバになるまでの時期を、『先しゃかりき期』と勝手に呼んでいます。

しゃかりきの意味

セクバになるまでは“しゃかりきな姿勢”で頑張っていた松倉くん。セクバになってからは、その“しゃかりきな姿勢”が、ダンスに強く乗り移ったような気がしています。

先ほどご紹介した『「ありがとう」~世界のどこにいても~』のダンスを見ると、松倉くんらしい躍動感みたいなものを感じる瞬間はあるんですが、まだ“しゃかりきダンス”という感じではないんですよね。

King & Prince(キンプリ)岸優太くんの記事でもご紹介しましたが、岸くんのダンスは、周囲のJr.たちから「元祖しゃかりき」なんて表現されていたことがありました。その岸くんに「引っ張られて……」という言い方が正しいかどうかは分かりませんが、セクバにはガシガシ踊る子が多かった印象でもあります。

セクバとの出会いが、松倉くんをより“しゃかりきダンス”の方向に加速させたとも言えるかもしれません。ただ、「誰を起点として」というよりは、みんなで刺激し合って、高め合って……といった印象が強いような気がしています。

しゃかりきの本質

松倉くんをはじめ、セクバの子たちを見ていると、そもそも「“しゃかりき”とは何なのか?」と考えてしまうことって多かった気がします。

辞書的な意味で「しゃかりき」を考えると、特にセクバ界隈では、あの子もしゃかりき、この子もしゃかりき……となってしまっていた気がするんですよね。でも、それでは物足りないような、もったいないような、何となくモヤモヤした感じがありました。

ただ、応援していくうちに言葉が本来持っている意味では言い表せないものがあると気づかされたんですよね。セクバが単なる「セクゾのバックで踊るJr.」ではないように、松松シンメが、単なる「シンメトリーの位置で踊る2人」を指す言葉ではないように、そこにしかない輝きや魅力が凝縮されているんだという思いが強くなっていきました。

単なる言葉ではなくて、唯一無二のブランドのようなものなのかもしれません。松倉くんを語る上で欠かせない「しゃかりきダンス」という言葉も、「こういう踊り方だから」という言葉だけで片づけられるような単純なものではないんですよね。

しゃかりきに隠されているもの

筆者は後になってから気づいたんですが、松倉くんの踊っている姿を見て「幼少期からダンスを習っていたんだろうな……」と勝手に思い込んでいました。

ただ、ジャニーズに入るまではダンス未経験だったという事実。筆者は、ダンス中のまつくよりも大きな口を開けて驚きました。ダンス未経験ということを知ってからまつくのダンスを見ていくと、そのすごさがじわじわと押し寄せてくるような感覚でもあります。

もともと持っているセンスが高いことはもちろんですが、やはり相当努力してきたんだろうなぁと感じる瞬間って多くあるんですよね。コンサートの合間に他のJr.たちがゲームをしているなかでも、松倉くんはひたすら練習時間に充てていたというエピソードもあります。

これまでの歩みのなかで、どれだけの汗と涙を流してきたか……その全てを知ることはできません。しゃかりきダンスで道を切り開いてきたことはもちろんですが、その“しゃかりきな姿勢”、そこから繰り出される“しゃかりきダンス”には、様々なストーリーやオンリーワンの魅力が凝縮されています。

昔から変わることのない真面目な性格

松倉くんより7か月半ほど後(2011年6月19日)に入所した影山拓也くん(現IMPACTors)。彼にとって初仕事となった2012年の「SUMMARY」で、Jr.マンションの101号室にいた松倉くんが、103号室の影山くんに色んなことを指摘していたなんてエピソードもあるようです。ともに1997年生まれで同い年の2人ですが、影山くんには当時の松倉くんが幼く見えたようで、「自分より年下のちびジュ」という認識だったんですよね。

当時中学3年生だった松倉くんですが、思えば4歳下(当時小学5年生)の妹より年下に見られるなんて悩みを話していたこともありました。「ジャニーズJr.の真実」で井上瑞稀くん(現HiHi Jets)と並んで話していた時も、3歳年下の瑞稀くんと同い年に見えるような感じでもありましたね。

松松シンメも、当初は松田元太くんが年上なんて思っていた方が多かったかもしれません。当時はファンの間でも「中3に見えない」という声が多く聞こえていた印象で、年下のちびジュに見えたという影山くんの話も「確かにそうだろうなぁ」と思ってしまうんですよね。

“かげまちゅ”のエピソードからは、先輩として指摘する一生懸命な松倉くんの姿が思い浮かびます。自分に対しても周りに対しても、とにかく真面目に向き合っていたんだと分かる瞬間って当時から色んなところに滲み出ていたような気がするんですよね。

昔からずっと変わることのない「海」を書く時の「さんずい」の“はね”。名前の書き方一つをとっても、ものすごい真面目さが出ているなぁと感じた記憶があります。今もブレることのない「さんずい」の“はね”に触れていくと、(推測でしかありませんが)小学2年生で「海」という字を習ってから、ずっとずっと変わっていないのかもなぁなんて思ってしまうんですよね。

影山拓也くんとのプライベートユニット「Teeth」

後に松倉くんと同い年であることを知った影山くん。今では「Teeth」というプライベートユニットを組むほど仲良しなことで知られています。

2人で左の前歯が似ている(ちょっと傾いていて、角度や形が同じ)と話題になったことがあったそうで、そこから英語で歯を表す「Teeth」というユニットを組むことになったんですよね。実はグッズ(Tシャツ)や曲がちゃんと(こっそり?)存在するユニットでもあります。

また、「Teeth」には「Teeth Family」と呼ばれる広がりがあるようで、King & Princeの髙橋海人くんやTravis Japanの松田元太くん、美 少年の岩﨑大昇くんが所属する「Teeth Boyz」のほか、原嘉孝くんや寺西拓人くんが入会を希望している「Teeth研修生」もあるなんて情報が出ていたこともありましたね。

2人の歩みにはSexy Zoneと深い関わりがありますが、在りし日のSexy Family(セクファミ)を思い出すような、そんな感覚でもあります。

松倉海斗=ケイの真相

松倉海斗くんのニックネーム(あだ名)と言えば、「まつく」「まちゅ」といったものが挙がると思います。これは本人もちゃんと認知していているんですよね。一方で「ケイ/KEI/Kei/K」といった呼び方も存在していて、「松倉海斗」と検索すると「ケイ」という言葉が一緒に出てきたりもします。

ところが、知れば知るほど松倉くんに限らず、あの人も「ケイ」、この人も「ケイ」……となっていることに気づかされるはず。しかも、明らかに増殖しているんですよね。

もともとは松倉くんのニックネームだったと名付け親である影山くん自身が話しています。ただ、気になるのはなぜ「ケイ」になったのかというところですよね。「海斗」のイニシャル「K」から来ているのかな……なんて思ったりしそうですが、どうやら別の由来があるようです。

「ケイ」と呼ばれるようになった経緯にはいくつかの話があるようで、影山くんが松倉くんのことを「錦織圭さんみたいじゃね?」と話したところから「まとこらけい」と呼ぶようになり、そこから「ケイ」呼びがしっくりきたため「ケイ」が残ったという話もあります。さらに、みんな「ケイ」だという話に展開していったようで、あの人も「ケイ」、この人も「ケイ」……となって、増殖していった感じでしょうか。

このほかに、もともとは岸優太くん→松倉くんの専用ニックネームとしても知られる「まつくり」から派生していったのかなと思われる説があったり、「まとこらくん」が「にしこりけい」の響きに似ていることから最終的に「ケイ」になったのかなと思われる説があったり……このあたりは「諸説ある」という解釈なのかもしれませんが、「まつくら」→「まとこら(くん)」→「にしこり(けい)」→「けい」といった呼び方の変化の過程のなかに、色んな要素が含まれているような感じでもあります。

松倉くんのニックネームだった「ケイ(KEI/Kei/K)」はジャニーさんの「YOU」みたいな位置づけとなり、松倉くんはもちろん、誰に対しても使えるものになっていったようです。

Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんの魅力


(画像:PhotoAC)

先ほど「汗と涙」というキーワードが出てきたので、個人的に印象に残っているまつくの涙をはじめ、様々なエピソードをご紹介しながら、まつくの魅力にもう少し迫っていきたいと思います。

悔し涙に隠された魅力

かつて、自身の短所について「心配性」と語っていたり、悩んだり凹んだりして考え込んでしまったりすることも多いと話していた松倉くん。ステージやテレビなどで見せるニコニコとした表情、周囲を明るく照らすような雰囲気、笑いの3段活用、その第3段階と言われる「あははは!」という高い声が響き渡る空間からはあまり想像できないような発言だった気がします。

かつての松倉くんは、雑誌などを通じて「涙エピソード」が発信されることはあっても、ファンの前ではほとんど涙を見せることがなかったんですよね。ただ、「ガムシャラ!」の夏祭りで、チーム「者」の一員としてファンカッションに奮闘した2014年夏……なかなかうまくできない状況に、悔し涙を流す松倉くんの姿がありました。

いつも・どんなときも笑顔を絶やさないようにしていると話し、表では涙を見せないようにしていると言っていた松倉くん。そんな彼がカメラの前で見せた涙には、何と言えばいいでしょうか……うまく言葉にできませんが、ジャニーズに捧げるまつくの決意・覚悟のようなものを強く感じた記憶があります。

まつくの涙=「悔し涙」が多いこと、その悔し涙の奥にある思いに迫るだけでも、まつくの魅力はこれでもか!というくらい見えてくるような気がします。

マイナス同士のかけ算

真面目さや繊細さも、まつくならではの魅力。かつて放送されていた「ジャニーズJr.ランド(ジュニラン)」では、収録中にスタッフのもとへ駆け寄り、「俺、今日元気ないですか?」「もう少し元気にやったほうがいいですか?」と聞いたというエピソードがあったりもします。

思えば、出番が減ったり、立ち位置が下がったりするだけでも悩んでしまうと語っていたことがありました。振り覚えが遅いことを悩みとして挙げていたこともありました。ただ、「心配性」で「ネガティブ」な一面を持っている一方、「頑固」で「負けず嫌い」な一面もあって、マイナスの出来事や感情をエネルギーに変えられる「強さ」があるんですよね。

マイナス同士のかけ算が「プラス」になる。プラスのものがマイナスとのかけ算によって「マイナス」になったとしても、またマイナス同士のかけ算で「プラス」にできる。松倉くんの原動力は、そうした数式で成り立っているのかもしれません。

同期の佐藤勝利くんが、Sexy Zoneとして先にデビューを果たしたこと……それに悔しさをにじませていたこともありました。ただ、折れずに頑張り続ければきっといいことがある!という思いを強く持って、必死にコツコツと頑張ってきたんですよね。

妹とのお菓子争奪戦にさえ負けたくないと語っていたほど、「負けず嫌い」なことで知られる松倉くん。思えば、「ライバルは?」という問いに「昨日の自分」と答えていたこともありました。

何かあるたびに、自分を責めてしまう傾向があるとも語っていましたが、責めて終わりではなくて、それを乗り越えることができる強さを持っているんですよね。そうした一面を含め、マイナスなことをプラスの方向へ持っていける性格が、彼を前に突き動かしていた部分もあるのかもしれません。

「パッション期」への変化

2015年に舞台「Endless SHOCK」のキャストに抜擢されてから、松倉くんのダンスは『パッション期』へと移行していきます。座長を務める堂本光一くんの姿や言葉から「ダンスの本質」を教わったと語っているんですよね。

歌やドラムの先生、ダンサーの方に色んなことを教わり、「世界観が広がった」とも語っていました。技術的なことに限らず、考え方や人間性に至るまで、多くのものが変化したような感覚があったんですよね。ダンス=踊るだけではなく、振りや歌詞の意味を大切に考えながらパフォーマンスするようになったと言います。

セクバとしての歩みを見ても、その時期を『しゃかりき期』と表現しているのを見ても、「しゃかりきダンス」に対するこだわりは人一倍強いものがあったと言えるかもしれません。ただ、セクバの状況も変化を見せていくなかで、次第に「しゃかりきだけじゃダメだ」という意識に変わっていったんだなぁということが分かります。

そうしたなかで、SHOCKへ抜擢されたこと。それが、松倉くんにとって本当に大きな出来事だったことは言うまでもありません。さらにさかのぼれば、Sexy Zone松島聡くん、シンメである松田元太くんとの「Sexy松(Show)」としての活動も、かけがえのない経験となったはず。“がむしゃら”に“しゃかりき”に踊っていたという松倉くんが、「見せ方を意識しよう」という思いを強く抱くようになったきっかけが、この「Sexy松(Show)」としての活動なんですよね。

2020年8月12日に、療養中だった聡くんの復帰が発表され、川島如恵留くんをきっかけとして「Sexy松」がトレンド入りしたことも話題となりました。

セク松としての活動が自然消滅していった後も、3人がセク松というユニットやメンバー、そこでの経験を本当に本当に大切にしているんだなあという瞬間がたくさんありました。

セク松の結成当時や、セク松が自然消滅した後は、色んな思いを抱えていたファンの方も多かったかもしれません。ただ、聡くんや聡くん担は松松の存在に救われて、松松や松松担は聡くんの存在に救われて……という場面がきっとあったはず。「Sexy松(Show)」は、3人にとってもファンにとっても本当に大きなものだなぁということを強く感じます。

もうひとつの松松

後ほど松田元太くんとの松松語りをしていきたいと思いますが、「Sexy松(Show)」の話題が出てきたので、ともに97年の11月生まれ、同い年で親友の松倉くん&聡くんのエピソードも少しご紹介したいと思います。

かつて、「性格が似ている」なんてお互いがお互いについて語っていたこともある2人。悩むポイントが似ているようで、そうした部分を含め、性格面でリンクする部分を感じられる瞬間って確かにあるのかなぁということを感じます。

2人の距離がグッと近くなったのは、2013年に行われた「Sexy Zone 新春アリーナコンサート2013 」。リハーサルを通じて仲良くなったという2人ですが、この時に聡くんがずっとずっと胸にしまい込んでいた複雑な思い、誰にも話すことのできなかった思いを初めて打ち明けたのが松倉くんなんですよね。

入所から1年も経たないうちにデビューが決まり、周りのJr.に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったという聡くん。経験豊富なJr.がたくさんいるなかで、自分が先にデビューしていいのか、デビューしてよかったのか……という思いをずっと抱えていたんですよね。聡くんより数か月先輩の松倉くんに対しても、もしかしたら「申し訳ない」という気持ちを持っていたのかもしれません。

そんな聡くんの胸に秘めていた思いを知った松倉くん。セクゾもJr.も大変なことはいっぱいある、だからそれぞれが今できることを一生懸命頑張ろうと声をかけてあげたんですよね。Jr.歴が浅いなかでデビューしたプレッシャーがあることを理解して、そうした思いに寄り添いながら、松倉くんは優しく前向きな言葉をかけたと言います。

思えば、こんなエピソードもありました。

とある日のコンサートの帰り道。2人で一緒に帰っていた時に、ふと松倉くんが「ありがとう」という感謝の気持ちを聡くんに伝えたことがありました。

セクゾのバックで踊れていること、それがとにかく楽しくて幸せだということ……その言葉に「ありがとう」の気持ちを添えて、聡くんに届けたんですよね。聡くんは涙が出そうなほど嬉しかったと当時を振り返っていた記憶があります。

そうした関係性を知っていくと、また違った見方ができるかもしれません。そして、松田元太くんという存在が、松倉くんにとっても、聡くんにとっても、セク松にとっても大きなものなんだということ、絶妙なバランスで成り立っているということも、より強く感じられるような気がします。

セク松やSHOCKでの経験を含め、新たなことへの挑戦、新たな人・ユニットとの出会いが松倉くんを進化させる大きなきっかけとなったことは言うまでもありません。そして何より、松倉くん自身が、絶えず「向上心」を持ち続けて努力し続けられるからこそ、そうした経験や出会いの一つ一つがしっかりと実を結んでいるんですよね。

『しゃかりき期』~『パッション期』への変化は、言い換えれば、単に踊るだけではなく「作品の世界を伝える表現者」という意識を持つようになったと考えることができるかもしれません。ジャニーさんの「アメリカンだよ!」発言とも関連する部分だと思いますが、突然パッションが現れたというよりは、「しゃかりき」よりも「パッション」の比重が大きくなっていったような、そんな感覚でもありました。

次ページからの記事後半では、松松についてたっぷりとお話ししていきたいと思います。

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