【トラジャ賛成コン@大阪フェスティバルホール】Travis Japan Live tour 2021IMAGENATION 〜全国ツアーしちゃってもいいですかっ!?〜 3/30 セトリ・座席・MC・感想レポ
- 2021.03.30
笑顔の花を咲かせ、私たちにたくさんの元気・パワーを届けてくれるTravis Japan(トラジャ)松倉海斗くん。彼のこれまでの歩みに目を向けると、変わるもの・変わらないもの……そのどちらにも、松倉くんの魅力がたくさん隠れていることに気づかされます。今回は、Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんのプロフィールやエピソード、松松語りを交えつつ、まつくの魅力に迫っていきます。
たくさんの笑顔を輝かせ、私たちに元気やパワーを届けてくれるTravis Japan(トラジャ)松倉海斗くん。入所当時は中学生だったまつくも、気づけばお酒を飲み、車を運転し、一人で海外旅行に行ってしまうぐらい大きく成長しました。
ジャニーズとしての歩みに目を向けると、変わるもの・変わらないもの……そのどちらにも松倉くんの魅力がたくさん隠れているんですよね。そしてそして、まつくを語る上では、運命のパートナー・松田元太くんの存在を欠かすわけにはいきません。
今回は、Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんのプロフィールやエピソードをご紹介しながら、その魅力に迫っていきます!
(画像:フリー素材「写真AC」)
まずは、Travis Japan(トラジャ)松倉海斗くんの基本プロフィール、入所理由、同期のメンバーをご紹介していきます!
名前 | 松倉 海斗(まつくら かいと) |
---|---|
誕生日 | 1997年11月14日 |
出身地 | 神奈川県 |
血液型 | O型 |
身長 | 163cm |
あだな・ニックネーム | まつく |
兄弟 | 妹(4歳下) |
入所日/入所時の年齢 | 2010年10月30日/12歳 |
同期 ※同日入所 | 宮近海斗・中村海人(Travis Japan)、佐藤勝利(timelesz)、目黒蓮(Snow Man)、原嘉孝、神宮寺勇太(元King & Prince→現Number_i/TOBE所属) |
メンバーカラー | オレンジ |
2010年10月30日、中学1年生(12歳)の時にジャニーズ事務所へ入所した松倉海斗くん。2009年に行われた嵐のデビュー10周年記念ツアー『ARASHI Anniversary Tour 5×10』を見たこと、そこで嵐の5人がキラキラと輝く姿に感動し、いつか自分も同じステージに立ちたいという思いが芽生えたんですよね。
松倉くんが入所して間もない頃でしょうか。「嵐のように、歌や踊りだけではなくファンに思いを伝えられるような存在になりたい」と話していたことが印象に残っています。そのくらい『ARASHI Anniversary Tour 5×10』での嵐との出会いは大きなだったんだなぁと感じるんですよね。
「スーパーアイドルになりたい!」という強い意志を持って、自分で履歴書を送付した松倉くん。ここから、まつくのジャニーズとしての歩みがスタートします。
松倉くんのお母さん、5×10は普通にファンとして好きって気持ちで見たけど、今回の5×20では「息子のきっかけになってくれてありがとう」っていう気持ちで見たって…10年後、まさか息子が同じアイドルをしてるなんて、嵐の後輩になってるなんて思わないよなあ…
— ミラ🐾101 (@__9902tb) December 15, 2019
松倉くんの同期には、同じくTravis Japanのメンバーとして活躍する宮近海斗くん・中村海人くんをはじめ、佐藤勝利くん(timelesz)、目黒蓮くん(Snow Man)、原嘉孝くん、神宮寺勇太くん(Number_i/TOBE所属)、根岸葵海くん(※退所)、今村隼人(※退所)くんがいます。
同期メンバーのプロフィール記事でもすでにご紹介していますが、“ちゃかちゃん”こと宮近くんが「こんなに入れたことない」とスタッフさんに言われたエピソードがあるほど、たくさんのJr.が入所したオーディションとしても知られているんですよね。オーディション当日は集合時間ギリギリになってしまったそうで、走って会場へ向かったというエピソードもあります。
勝利くんによると、この時のオーディションは参加者が多かったために、3日に分けてオーディションが行われたそう。3日間で合わせて300人ほどの参加者がいたようです。
一方で10月23日に入所したメンバーの話によると、オーディションには1,000人の参加者がいたなんて話もあるんですよね。1,000人という数字が23日単独の数字であるかどうかは定かではありませんが、2010年10月のオーディションは人数が多かったために、2週に分けて行われたという話もあるようです。
2週に分け、さらにそこから3日間に分散したのかなど真相は明らかではありませんが(筆者のリサーチが不足しているだけかもしれません)、このあたりはけっこう曖昧な部分も多い印象です。そのため、松倉くんの入所日についても2つの説が存在していたのかなという印象でもあります。
現在は10月30日入所に落ち着いている感じでしょうか。いずれにしても、2010年10月は「こんなに入れたことない」となってしまうくらいに参加者も多かったと言えるのかもしれません。
この時のオーディション曲は、Hey! Say! JUMPの『「ありがとう」~世界のどこにいても~』。ありせかは同年の東西歌合戦のほか、少クラ初ステージ(2011年1月21日放送)で踊った楽曲でもあります。
2010年10月30日入所組の多くは「ジャPAニーズHi!」というユニットに所属しており、松倉くんもまた、その一員としてキラキラと存在感を放っていた印象でもありますね。
ジャパハイの代表的なステージとして挙げられる『マルイチカラ』(2011年2月4日放送)でも、まつくの初々しいパフォーマンス姿を楽しむことができます。
宮近「憧れの先輩は!」
3人「○△×〜〜(バラバラ)」
松倉「初めてマイクを持って歌った曲は!」
3人「マルイチカラ!!」
天才なの………?— 叶歩 (@hrntakfy330) 2017年11月18日
同期であり、同じ97年生まれであり、今はトラジャとして活動をともにする宮近海斗くん。入所してまだ4~5回しか会っていない頃、宮近くんに悪口を言われたというエピソードがあったりもします。嫌な奴だと思ったという松倉くんですが、やがて同じ現場で活動していくなかで仲良くなっていったようです。
松倉「(宮近と)オーディションを受けてから4〜5回しか会ってないのに、面と向かって悪口を言われた。何を言われたか覚えてないけどこいつ嫌な奴だなって思ってた。多分自分もイキってたから気に触ることをしたのかもしれない。でも同じ仕事が重なって会話が増えてく中でだんだん仲良くなっていった」
— ぽぽん( ー̀֊ー́ )✧ (@takonoahi_jo) September 28, 2020
セクバ(宮近くんはトラジャからセクバへ出張)として活動をともにするようになり、気づけば同じ高校で同じクラスにもなりました。当時を思い返すと、Sexy Zoneが『Sexy Summerに雪が降る』を披露した「FNS歌謡祭」(2012年12月5日放送)のあたりから、宮近くんの出張がスタートした感じでしょうか。
当時「しゃかりきダンス」が代名詞だった松倉海斗くんの隣に「もう一人しゃかりきっぽい子がいる……!」と話題になったのが宮近くんだったんですよね。そこから様々な出来事を経て、Travis Japanというグループで活動をともにする運命を歩んでいきます。
出会った頃はマイナスの空気が渦巻くエピソードもあった2人ですが、そんな出来事が嘘のように、松倉くんが宮近くんと手をつなごうとする→宮近くんが松倉くんにペシっとツッコミを入れつつ、満更でもなさそうな様子を見せるというザワザワ案件もありました。突然“ちゃかまちゅ”が供給されることって多いんですよね。
当時のエピソードと対比させると、今の“ちゃかまちゅ”の関係性って何かこう……いいなぁ、すごいなぁ(語彙力を失ってしまい申し訳ありません)という思いがひしひしと込み上げてくるような感覚でもあります。
てか、ちゃかまちゅイチャイチャしすぎててヤバくないか🤦🤦🤦❤️🧡
まつくがちゃかの手を繋ごうとしてたよね🤦🤦
でもちゃかは照れたのか手をよけたけどめっちゃデロデロの笑顔やん🤦🤦
いやもうまじでちゃかまちゅヤバいーー😇😇❤️🧡
そんでちゃかちゃんずっと可愛かった🤦❤️— たみ!! (@gCFLwzySAztndZ6) November 13, 2021
松倉くんは「Jr.になれた理由」として、オーディション時の“ある思い出”を挙げていたことがありました。多くの参加者がいたというオーディション。そのなかで必死に踊り、前列に入れてもらえたこと……それが深い思い出として心に残っているようです。
ここでの経験や思い出を起点として「しゃかりき」と呼ばれるダンスが確立・洗練されていったと言えるかもしれません。ここからは、いくつかのテーマに分けて松倉くんの足跡をたどっていきたいと思います。
(画像:PhotoAC)
松倉くんの発言をもとに「ダンス」という視点で“松倉年表”を作成すると、『しゃかりき期』→『パッション期』→『シンクロ期』の大きく3つに分けることができそうです。『しゃかりき期』は『セクバ期』とも言い換えられるかもしれませんね。
松田元太くんのプロフィール記事と同じような展開になってしまうんですが、やはり松倉くんを語る上でも、「セクバ」としての歩みや経験、そして何よりも“運命的なシンメ”との出逢い・歩みを欠かすわけにはいきません。
2011年11月16日、松倉くんが14歳のお誕生日を迎えた直後にSexy ZoneがCDデビュー。そのバックについて踊るJr.たちは、ファンの間で「セクバ」と呼ばれるようになります。
「今日のセクバは……」といったように、バックについているJr.を「セクバ」と呼ぶこともありましたが、初期の「きしっくす」や「神7」に代表される、セクゾのバックについている固定メンバーを「セクバ」と表現することも多くなっていった印象です。
セクゾのバックについているかどうかは関係なく、彼らがメインとなって披露されるステージであっても「セクバのパフォーマンス」という認識が強くなっていった感じでもあります。
じぐれあ…神7というかきしっくすのサンダーバードとC3の感じるままに~が最高に好きすぎる
— モト (@toritomo2_a) March 14, 2020
松倉くんを語る上で『セクバ期』を欠かすことはできませんが、実はセクゾデビュー時から「セクバ」として活動していたわけではないんですよね。
少クラを見ると分かりやすいかもしれません。デビュー曲『Sexy Zone』も、はじめはMV出演Jr.が中心となってバックについている印象がありました。ただ、2012年に入ってからは『Sexy Zone』=松倉くんがいること、もっと言えば「松松」がそろっていることが当たり前のようになっていくんですよね。
初期のセクバメンバーと一緒にステージに立つことも多くなり、松松がシンメになったことで、セクバとしての認識がより強固なものになっていった印象でもあります。
セクバと呼ばれていいJr.って沢山いて、毎回セクゾのPVバックも選抜だし、意外にも松松が一緒にPVに出たのえびのTwinklex2が初めてっていう昔話。それに松松よりも、宮近・林・松倉・松田というセクバのダンス班みたい括りがあった時期で、(宮近くんはトラジャから派遣されたっぽい)結果的にちび紅☺️
— チョコ①⓪① (@kercc) October 1, 2021
入所したての頃は、なかなか出番に恵まれなかったという松倉くん。とにかく“しゃかりき”に頑張っていたそうで、ある日、そのダンスがジャニーさんの目に留まったんですよね。
ジャニーさんからは自身のダンスについて「アメリカンだよ!」「最高だよ!」と声をかけてもらったそう。それがきっかけとなり、松松シンメの誕生、セクバとしての活躍につながっていったと本人も振り返っています。
当時は「アメリカン」の意味を深く捉えてはいなかったようですが、後に深く考えを巡らせることがあったという松倉くん。“しゃかりき”に頑張る姿にパッションのようなものを感じ取ってもらって、だからこそ「アメリカンだよ!」という言葉をかけてもらったのかなと考えているようです。
松倉くんのダンス、ジャニーさんにアメリカンだねって言われるだけあってめちゃくちゃパッション感じられてすっっっごい良かったなぁ…常日頃から松倉くんのダンスみて惚れ惚れしてますが、見ていて楽しい!爽快!気持ちいい!って思わせてもらえるのも松倉くんのダンスの良さ
— な (@mm_b_un) October 14, 2019
「アメリカン」には色んな解釈があると思うんですが、Travis Japanの一員として活躍する現在もダイナミックなダンスはもちろん、例えば発言だったり、リアクションだったり、服装だったり……色んな場面・瞬間で、「アメリカンだなぁ」って感じることって多い気がするんですよね。
入所当時の「アメリカン」とは少し違うのかもしれませんが、年齢を重ねていくにつれて、松倉くんにピタッとはまっていく表現になっていく感覚がより強くなっているような気がします。履歴書の写真を見ただけで10年後の顔が分かるというジャニーさん。もしかしたら、10年以上の月日を経て松倉くんがより洗練されたアメリカンになっていること、アメリカ・ロサンゼルスへ留学し、トラジャとして全世界デビューを果たす未来も見えていたのかもしれません。
『しゃかりき期』=『セクバ期』とご紹介しましたが、オーディション時も含め、“しゃかりき”に頑張ってきた松倉くんのエピソードに触れると、セクバになる以前から『しゃかりき期』はスタートしていたのかな……なんて思ったりもします。
ただ、「ダンス」という視点で見れば、やはり『しゃかりき期』=『セクバ期』なのかもしれません。ということで、筆者は入所~セクバになるまでの時期を、『先しゃかりき期』と勝手に呼んでいます。
しゃかりきダンスがセールスポイントなセクバ時代の松倉くんだけどいつかくるチャンスのためにってボイトレしたりしてたの、実り実っててほんとに努力の人だーーーーーーーーーすきーーーーーーー
— ワニ (@nm_j57r) 2019年10月4日
セクバになるまでは“しゃかりきな姿勢”で頑張っていた松倉くん。セクバになってからは、その“しゃかりきな姿勢”が、ダンスに強く乗り移ったような気がしています。
先ほどご紹介した『「ありがとう」~世界のどこにいても~』のダンスを見ると、松倉くんらしい躍動感みたいなものを感じる瞬間はあるんですが、まだ“しゃかりきダンス”という感じではないんですよね。
岸優太くんの記事でもご紹介しましたが、岸くんのダンスは、周囲のJr.たちから「元祖しゃかりき」なんて表現されていたことがありました。その岸くんに「引っ張られて……」という言い方が正しいかどうかは分かりませんが、セクバにはガシガシ踊る子が多かった印象でもあります。
セクバとの出会いが、松倉くんをより“しゃかりきダンス”の方向に加速させたとも言えるかもしれません。ただ、「誰を起点として」というよりは、みんなで刺激し合って、高め合って……といった印象が強いような気がしています。
昔ね
セクバ時代の頃
松倉くんは雑誌でね
どんだけ端で踊ってても自分のことを見てくれてる人がいるから全力で踊る
的なことを言ってたの
今でもそれが忘れられない— まおりん(o^ ~.^o) (@kai_m_1114_) 2019年8月9日
松倉くんをはじめ、セクバの子たちを見ていると、そもそも「“しゃかりき”とは何なのか?」と考えてしまうことって多かった気がします。
辞書的な意味で「しゃかりき」を考えると、特にセクバ界隈では、あの子もしゃかりき、この子もしゃかりき……となってしまっていた気がするんですよね。でも、それでは物足りないような、もったいないような、何となくモヤモヤした感じがありました。
ただ、応援していくうちに言葉が本来持っている意味では言い表せないものがあると気づかされたんですよね。セクバが単なる「セクゾのバックで踊るJr.」ではないように、松松シンメが単なる「シンメトリーの位置で踊る2人」を指す言葉ではないように、そこにしかない輝きや魅力が凝縮されているんだという思いが強くなっていきました。
単なる言葉ではなくて、唯一無二のブランドのようなものなのかもしれません。松倉くんを語る上で欠かせない「しゃかりきダンス」という言葉も「こういう踊り方だから」という言葉だけで片づけられるような単純なものではないんですよね。
セクバの松倉くんの笑顔の威力ってほんとに凄いよね、腕が取れそうなくらい力一杯踊っててエネルギーの消費量かなり多いのにずーっと満開の笑顔で、心から楽しいのが伝わってきて本当に元気もらえる
— なるこ (@mm_b_un) 2019年6月26日
筆者は後になってから気づいたんですが、松倉くんの踊っている姿を見て「幼少期からダンスを習っていたんだろうな……」と勝手に思い込んでいました。
ただ、ジャニーズに入るまではダンス未経験だったという事実。筆者は、ダンス中のまつくよりも大きな口を開けて驚きました。ダンス未経験ということを知ってからまつくのダンスを見ていくと、そのすごさがじわじわと押し寄せてくるような感覚でもあります。
もともと持っているセンスが高いことはもちろんですが、やはり相当努力してきたんだろうなぁと感じる瞬間って多くあるんですよね。コンサートの合間に他のJr.たちがゲームをしているなかでも、松倉くんはひたすら練習時間に充てていたというエピソードもあります。
これまでの歩みのなかで、どれだけの汗と涙を流してきたか……その全てを知ることはできません。しゃかりきダンスで道を切り開いてきたことはもちろんですが、その“しゃかりきな姿勢”、そこから繰り出される“しゃかりきダンス”には、様々なストーリーやオンリーワンの魅力が凝縮されています。
松倉くんなにをやるにも一生懸命で動作が大きくてかわいいったら。ダンスがしゃかりきなのはイメージあったけどあおりも歌も精いっぱい。思いっきり笑顔で、ときには切なくときには真剣に。中学生の合唱指導でおくちは縦に指が3本入るくらい大きく開けましょうって言われたけどほんとそんな感じなのw
— クロフネ (@OSOZAKImusuko) 2016年7月31日
松倉くんより7か月半ほど後(2011年6月19日)に入所した影山拓也くん(現IMP./TOBE所属)。彼にとって初仕事となった2012年の「SUMMARY」で、Jr.マンションの101号室にいた松倉くんが103号室の影山くんに色んなことを指摘していたなんてエピソードもあるようです。ともに1997年生まれで同い年の2人ですが、影山くんには当時の松倉くんが幼く見えたようで、「自分より年下のちびジュ」という認識だったんですよね。
最初の仕事はJUMPのSUMMARY。松倉くんとの出会いは、Jr.マンションでちびっ子に指摘されて「なんで年下のちびっこに言われなきゃいけないんだ」って内心むっとしたけど同い年だった😂
当時の部屋番影山くんが103号室で、松倉くんが101号室— わゆ (@nyanko_mmdng) November 11, 2021
当時中学3年生だった松倉くんですが、思えば4歳下(当時小学5年生)の妹より年下に見られるなんて悩みを話していたこともありました。「ジャニーズJr.の真実」で井上瑞稀くん(現HiHi Jets)と並んで話していた時も、3歳年下の瑞稀くんと同い年に見えるような感じでもありましたね。
松松シンメも、当初は松田元太くんが年上なんて思っていた方が多かったかもしれません。当時はファンの間でも「中3に見えない」という声が多く聞こえていた印象で、年下のちびジュに見えたという影山くんの話も「確かにそうだろうなぁ」と思ってしまうんですよね。
【ガムシャラ 1/26】ひとつだけの花。樹、松島を座らせて膝枕。落ちないように腰のあたりを支える松島。優しすぎる。落としてしまえばよかったのにwその横で森本と頷きあいながら歌う松倉。何度も思うけどここは同い年。見えないけど、同い年
— かのん (@kanononon87yr) January 26, 2015
“かげまちゅ”のエピソードからは、先輩として指摘する一生懸命な松倉くんの姿が思い浮かびます。自分に対しても周りに対しても、とにかく真面目に向き合っていたんだと分かる瞬間って当時から色んなところに滲み出ていたような気がするんですよね。
昔からずっと変わることのない「海」を書く時の「さんずい」の“はね”。名前の書き方一つをとっても、ものすごい真面目さが出ているなぁと感じた記憶があります。今もブレることのない「さんずい」の“はね”に触れていくと、(推測でしかありませんが)小学2年生で「海」という字を習ってから、ずっとずっと変わっていないのかもなぁなんて思ってしまうんですよね。
松倉フォントは問答無用で好きだけど 中でも自分の名前書く時いつもさんずいの1番下を✔️って書くのなんかわかんないけど好き pic.twitter.com/oyIQkNldr1
— さかな👉🏻 (@sxkxmxsxj) April 3, 2020
後に松倉くんと同い年であることを知った影山くん。後に「Teeth」というプライベートユニットを組むほどの関係性だったことでも知られています。
2人で左の前歯が似ている(ちょっと傾いていて、角度や形が同じ)と話題になったことがあったそうで、そこから英語で歯を表す「Teeth」というユニットを組むことになったんですよね。実はグッズ(Tシャツ)や曲がちゃんと(こっそり?)存在するユニットでもあります。
また、「Teeth」には「Teeth Family」と呼ばれる広がりがあるようで、King & Princeの髙橋海人くんやTravis Japanの松田元太くん、美 少年の岩﨑大昇くんが所属する「Teeth Boyz」のほか、原嘉孝くんや寺西拓人くんが入会を希望している「Teeth研修生」もあるなんて情報が出ていたこともありましたね。
2人の歩みにはSexy Zoneと深い関わりがありますが、在りし日のSexy Family(セクファミ)を思い出すような、そんな感覚でもあります。
Teeth BoyzやTeeth Familyは増やすけどTeeth本体は自分と影山くんだけという揺るぎないものを抱きしめている松倉くん、意外と独占欲強そうだな(そこが良いッ…‼️)
— +1⃣0️⃣1⃣ナツミアナザービコーズサスペンダー (@sujiko_musubi) September 24, 2020
松倉海斗くんのニックネーム(あだ名)と言えば、「まつく」「まちゅ」といったものが挙がると思います。これは本人もちゃんと認知していているんですよね。一方で「ケイ/KEI/Kei/K」といった呼び方も存在していて、「松倉海斗」と検索すると「ケイ」という言葉が一緒に出てきたりもします。
ところが、知れば知るほど松倉くんに限らず、あの人も「ケイ」、この人も「ケイ」……となっていることに気づかされるはず。しかも、明らかに増殖しているんですよね。
影山拓也、松倉海斗、中村海人、宮近海斗、髙橋海人、川島如恵留 ←イニシャルK有り 分かる
基俊介←役名がケイ まあ分かる
七五三掛龍也、横原悠毅、松田元太 ←カ行有り 100歩譲って分かる佐藤新←分からん https://t.co/MGaCCqNtfe
— わな 60 (@nn_gc29) October 25, 2021
もともとは松倉くんのニックネームだったと名付け親である影山くん自身が話しています。ただ、気になるのはなぜ「ケイ」になったのかというところですよね。「海斗」のイニシャル「K」から来ているのかな……なんて思ったりしそうですが、どうやら別の由来があるようです。
「ケイ」と呼ばれるようになった経緯にはいくつかの話があるようで、影山くんが松倉くんのことを「錦織圭さんみたいじゃね?」と話したところから「まとこらけい」と呼ぶようになり、そこから「ケイ」呼びがしっくりきたため「ケイ」が残ったという話もあります。さらに、みんな「ケイ」だという話に展開していったようで、あの人も「ケイ」、この人も「ケイ」……となって、増殖していった感じでしょうか。
虎者期間中の「ケイ」増殖について。事の発端は影山くんがまつくのことを錦織圭さんみたいじゃない?→まとこらけい→「ケイ」ってあだ名がしっくりくる瞬間があった(どこ)→じゃあ元太もケイ!むしろ虎者カンパニーみんなケイ!新もケイ!基もケイ!みんなケイ!!(終着点)
— まゆ (@fleur_ailes) December 22, 2020
このほかに、もともとは岸優太くん→松倉くんの専用ニックネームとしても知られる「まつくり」から派生していったのかなと思われる説があったり、「まとこらくん」が「にしこりけい」の響きに似ていることから最終的に「ケイ」になったのかなと思われる説があったり……このあたりは「諸説ある」という解釈なのかもしれませんが、「まつくら」→「まとこら(くん)」→「にしこり(けい)」→「けい」といった呼び方の変化の過程のなかに、色んな要素が含まれているような感じでもあります。
松倉くんのニックネームだった「ケイ(KEI/Kei/K)」はジャニーさんの「YOU」みたいな位置づけとなり、松倉くんはもちろん、誰に対しても使えるものになっていったようです。
"KEI"について✍️(Myojo) by元太
正式には「ケイ」じゃなくて「KEI」で松倉のことだけを指すわけじゃない、ジャニーさんの「YOU」みたいに使うのが正解
5年前ぐらいに影山が松倉をイジってマツクラ→マツクリ→マトコラ→ニシコリ→KEI になった
俺と松倉と影山でいる時はみんなで"KEI"呼びしてる— 💯🐟100🍤💯 (@krkrm11) September 28, 2021
(画像:PhotoAC)
先ほど「汗と涙」というキーワードが出てきたので、個人的に印象に残っているまつくの涙をはじめ、様々なエピソードをご紹介しながら、まつくの魅力にもう少し迫っていきたいと思います。
かつて、自身の短所について「心配性」と語っていたり、悩んだり凹んだりして考え込んでしまったりすることも多いと話していた松倉くん。ステージやテレビなどで見せるニコニコとした表情、周囲を明るく照らすような雰囲気、笑いの3段活用、その第3段階と言われる「あははは!」という高い声が響き渡る空間からはあまり想像できないような発言だった気がします。
「心配性の自覚があるからバカみたいにふざけたり大胆に鈍感に生きることを心がけてる」って言う松倉くん、あのクレイジー(褒めてる)な一面の裏側のそんな気持ちを吐露されたら愛しさが爆発してしまう
— いちばんおしゃれは1️⃣0️⃣0️⃣=͟͟͞͞ (@machunosobodesu) August 21, 2020
かつての松倉くんは、雑誌などを通じて「涙エピソード」が発信されることはあっても、ファンの前ではほとんど涙を見せることがなかったんですよね。ただ、「ガムシャラ!」の夏祭りでチーム「者」の一員としてファンカッションに奮闘した2014年夏……なかなかうまくできない状況に、悔し涙を流す松倉くんの姿がありました。
いつも・どんなときも笑顔を絶やさないようにしていると話し、表では涙を見せないようにしていると言っていた松倉くん。そんな彼がカメラの前で見せた涙には、何と言えばいいでしょうか……うまく言葉にできませんが、ジャニーズに捧げるまつくの決意・覚悟のようなものを強く感じた記憶があります。
まつくの悔し涙や、その奥にある思いに迫るだけでも、まつくの魅力はこれでもか!というくらい見えてくるような気がします。
この時、松倉くんと一緒にチーム者のメンバーとして熱い夏を駆け抜けた田島将吾くん。リーダー・神宮寺勇太くんの振る舞いが話題になることも多かった印象ですが、悔し涙を流す松倉くんに対しての優しさ溢れる田島くんの姿もすごく印象に残っています。
INI田島将吾くんのジャニーズ同期は? トラジャ松倉海斗くん・松田元太くんとの「たじ松松」などJr.時代の歩みやセクバとの関わりをご紹介!
現在はジャニーズを退所し、「INI」のメンバーとして活動する田島くんと「WATWING」のメンバーとして活動する髙橋颯くん。2人は“たじふう”と呼ばれ、松松と一緒にステージに立つ機会が多くありました。当時は「松松たじふう」なんて括りで呼ばれることも多かったでしょうか。
個人的には2014年5月7日放送の「ザ少年俱楽部」で、Mr.KINGの3人が『愛は味方さ』を披露したステージのバックでキラキラしていた松松たじふうの姿が印象に残っています。
2021年9月22日に髙橋颯くんが「WATWING」のメンバーとしてデビューし、2021年11月3日には田島将吾くんが「INI」のメンバーとしてデビュー。
その1年後に、松松くんがTravis Japanとしてデビューを果たすというストーリー……それぞれ歩む道は異なりますが、かつてJr.として切磋琢磨する彼らを応援してきた筆者としては、本当に感慨深かったです。
今思い返せば、ガムシャラでチーム者がファンカッションに挑戦した時に松倉くんが出来なくて泣いてしまった時に影でそっと声を掛けてくれたのが田島くんだった。翌年のファンカッションで松田くんが自分の出来なさにイラつき落ち込んでしまった時も寄り添って一緒に練習してくれたのも田島くんだった。
— izu (@iiii_chan) May 23, 2021
2023年3月28日に行われた「F VILLAGE STARTING LIVE!」では、Travis Japan(トラジャ)とINIが出演。「たじ松松」の3ショットがINIの公式Twitterにアップされ話題となりました。
いつか共演してほしい、同じ舞台に立ってほしい……そう思っていた筆者にとっても、忘れることのできない特別な日となりました。色んな思いが溢れ出していますが、こんな日が来てほしいと思いながら「難しいかもしれない」という思いもあって……だからこそ、私たちの見えるところでこうした光景に触れられて、本当に本当に嬉しいです。
田島将吾プラメより💌
•たじ松松は今でも結構会ってる
•この前もトラジャのツアー観に行った#INI #TravisJapan— えぬちゃ (@tjcute_n) March 28, 2023
やっぱりさ、かけがえのない青春時代を共に過した人たちがさ、辞めたからってそれきりで関係を切るわけがないんだよね、私たちがいくら悲しもうがきっとずっと繋がってるんだよね、たじ松松に限らずね……
— ︎︎ (@__9902tb) March 28, 2023
真面目さや繊細さも、まつくならではの魅力。かつて放送されていた「ジャニーズJr.ランド(ジュニラン)」では、収録中にスタッフのもとへ駆け寄り「俺、今日元気ないですか?」「もう少し元気にやったほうがいいですか?」と聞いたというエピソードがあったりもします。
思えば、出番が減ったり、立ち位置が下がったりするだけでも悩んでしまうと語っていたことがありました。振り覚えが遅いことを悩みとして挙げていたこともありました。ただ、「心配性」で「ネガティブ」な一面を持っている一方、「頑固」で「負けず嫌い」な一面もあって、マイナスの出来事や感情をエネルギーに変えられる「強さ」があるんですよね。
マイナス同士のかけ算が「プラス」になる。プラスのものがマイナスとのかけ算によって「マイナス」になったとしても、またマイナス同士のかけ算で「プラス」にできる。松倉くんの原動力は、そうした数式で成り立っているのかもしれません。
松松虎ビジョン済みです…無理…
げんげんの「松倉は自分のことネガティブだって言うけど、それがめちゃくちゃいい方向に自分を作ってる。負けず嫌いで、もっと燃える、みたいな」ってのにぼろぼろ泣いてしまった…こんなに肯定してくれるシンメさんが常に隣にいてくれることが…もう……😭😭— くるみ🍤 (@krkrm11) 2019年10月8日
同期の佐藤勝利くんがSexy Zoneとして先にデビューを果たしたこと……それに悔しさをにじませていたこともありました。ただ、折れずに頑張り続ければきっといいことがある!という思いを強く持って、必死にコツコツと頑張ってきたんですよね。
松倉「松松で振り付けもしたいし自分たちで構成を考えてコンサートをしたい。もっと前で踊りたい。正直悔しかったですよ同期が先にデビューしてバックで踊るのは。でも折れずに頑張り続けたらきっといいことがあるって思って前を目指してる。目標はデビュー。嵐みたいなスーパーアイドルになりたい。」
— あーちゃん^ ^🎸 (@aschyan_m) 2017年8月15日
妹とのお菓子争奪戦にさえ負けたくないと語っていたほど、「負けず嫌い」なことで知られる松倉くん。思えば「ライバルは?」という問いに「昨日の自分」と答えていたこともありました。
何かあるたびに自分を責めてしまう傾向があるとも語っていましたが、責めて終わりではなくて、それを乗り越えることができる強さを持っているんですよね。そうした一面を含め、マイナスなことをプラスの方向へ持っていける性格が、彼を前に突き動かしていた部分もあるのかもしれません。
2015年に舞台「Endless SHOCK」のキャストに抜擢されてから、松倉くんのダンスは『パッション期』へと移行していきます。座長を務める堂本光一くんの姿や言葉から「ダンスの本質」を教わったと語っているんですよね。
歌やドラムの先生、ダンサーの方に色んなことを教わり「世界観が広がった」とも語っていました。技術的なことに限らず、考え方や人間性に至るまで、多くのものが変化したような感覚があったんですよね。ダンス=踊るだけではなく、振りや歌詞の意味を大切に考えながらパフォーマンスするようになったと言います。
初めて出演が決まった時、振付師さんが光一に「松倉はなんでも全力でやるし、笑顔を絶やさない」って松倉くんのことを紹介してたの大好きなSHOCK×松倉くんエピ
— あーちゃん🎸 (@aschyan_m) August 29, 2018
セクバとしての歩みを見ても、その時期を『しゃかりき期』と表現しているのを見ても、「しゃかりきダンス」に対するこだわりは人一倍強いものがあったと言えるかもしれません。ただ、セクバの状況も変化を見せていくなかで、次第に「しゃかりきだけじゃダメだ」という意識に変わっていったんだなぁということが分かります。
そうしたなかでSHOCKへ抜擢されたことが、松倉くんにとって本当に大きな出来事だったことは言うまでもありません。さらにさかのぼれば、Sexy Zone(※当時)松島聡くん、シンメである松田元太くんとの「Sexy松(Show)」としての活動も、かけがえのない経験となったはず。“がむしゃら”に“しゃかりき”に踊っていたという松倉くんが「見せ方を意識しよう」という思いを強く抱くようになったきっかけが、この「Sexy松(Show)」としての活動なんですよね。
2020年8月12日に、療養中だった聡くんの復帰が発表され、川島如恵留くんをきっかけとして「Sexy松」がトレンド入りしたことも話題となりました。
【Sexy松トレンド入りの経緯】
①如恵留さんがJohnnys webで聡ちゃんの復帰を松松が喜んでいたと教えてくれる
②該当担「セク松😭😭😭」
③トレンドに入る
④ジャニオタ「令和にSexy松がトレンド入り!?」、二次オタ「おそ松さん!?アッ違う」とトレンドを受けてツイート増
⑤トレンド上位キープ— 6️⃣5️⃣まちゅの番号6️⃣5️⃣ (@krkrm11) August 13, 2020
セク松としての活動が自然消滅していった後も、3人がセク松というユニットやメンバー、そこでの経験を本当に本当に大切にしているんだなあという瞬間がたくさんありました。
セク松の結成当時や、セク松が自然消滅した後は、色んな思いを抱えていたファンの方も多かったかもしれません。ただ、聡くんや聡くん担は松松の存在に救われて、松松や松松担は聡くんの存在に救われて……という場面がきっとあったはず。「Sexy松(Show)」は、3人にとってもファンにとっても本当に大きなものだなぁということを強く感じます。
黒歴史に扱われがちのSexy松は聡ちゃんがずっとポジティブな言葉で肯定し続けてきたから今でも愛されてると思う。聡ちゃんは自分が助けられた側だと思ってるかもしれないが、げんげんとまつくにとっても大切なあの日々は宝物扱いになれたのは聡ちゃんのおかげだよ!
— チョコ①⓪① (@kercc) December 4, 2020
後ほど松田元太くんとの松松語りをしていきたいと思いますが、「Sexy松(Show)」の話題が出てきたので、ともに97年の11月生まれ、同い年で親友の松倉くん&聡くんのエピソードも少しご紹介したいと思います。
かつて「性格が似ている」なんてお互いがお互いについて語っていたこともある2人。悩むポイントが似ているようで、そうした部分を含め、性格面でリンクする部分を感じられる瞬間って確かにあるのかなぁということを感じます。
トラジャとセクゾが絡んだらどんな感じになるのかなってふと考えたんですけど、「まつく〜」って呼ぶ聡ちゃんに対して風磨くんが「らまで言えよ」とか「残された「ら」の気持ち考えたことあんのか?」とか言いそうだなという結論に至りました。
— あっちゃん (@753x_t) April 24, 2020
2人の距離がグッと近くなったのは、2013年に行われた「Sexy Zone 新春アリーナコンサート2013 」。リハーサルを通じて仲良くなったという2人ですが、この時に聡くんがずっとずっと胸にしまい込んでいた複雑な思い、誰にも話すことのできなかった思いを初めて打ち明けたのが松倉くんなんですよね。
入所から1年も経たないうちにデビューが決まり、周りのJr.に対して申し訳ない気持ちでいっぱいだったという聡くん。経験豊富なJr.がたくさんいるなかで、自分が先にデビューしていいのか、デビューしてよかったのか……という思いをずっと抱えていたんですよね。聡くんより数か月先輩の松倉くんに対しても、もしかしたら「申し訳ない」という気持ちを持っていたのかもしれません。
そんな聡くんの胸に秘めていた思いを知った松倉くん。セクゾもJr.も大変なことはいっぱいある、だからそれぞれが今できることを一生懸命頑張ろうと声をかけてあげたんですよね。Jr.歴が浅いなかでデビューしたプレッシャーがあることを理解して、そうした思いに寄り添いながら、松倉くんは優しく前向きな言葉をかけたと言います。
思えば、こんなエピソードもありました。
とある日のコンサートの帰り道。2人で一緒に帰っていた時に、ふと松倉くんが「ありがとう」という感謝の気持ちを聡くんに伝えたことがありました。
セクゾのバックで踊れていること、それがとにかく楽しくて幸せだということ……その言葉に「ありがとう」の気持ちを添えて、聡くんに届けたんですよね。聡くんは涙が出そうなほど嬉しかったと当時を振り返っていた記憶があります。
そうした関係性を知っていくと、また違った見方ができるかもしれません。そして、松田元太くんという存在が、松倉くんにとっても、聡くんにとっても、セク松にとっても大きなものなんだということ、絶妙なバランスで成り立っているということも、より強く感じられるような気がします。
カレンダーで松松との出会いを語る聡ちゃん😭元ちゃんとは同じオーディションで最初からすごく話しやすかった。まつくとはレッスンの合間に二人きりになって急激に仲良しに。97年組が子供っぽくて年下の元ちゃんは空気を読む。ぶつかることもあるが真剣だから平和。そんな二人は理想的な出会いだって😭
— チョコ①⓪① (@kercc) March 8, 2019
テレファン聡ちゃん「松倉は親友、元太は同期だし、良きライバルでありオレのダチ。手放さない、最高の仲間です。」
セク松うううう。・°°・(>_<)・°°・。
— ふじ (@fffjiii) November 24, 2015
セク松やSHOCKでの経験を含め、新たなことへの挑戦、新たな人・ユニットとの出会いが松倉くんを進化させる大きなきっかけとなったことは言うまでもありません。そして何より、松倉くん自身が絶えず「向上心」を持ち続けて努力し続けられるからこそ、そうした経験や出会いの一つ一つがしっかりと実を結んでいるんですよね。
『しゃかりき期』~『パッション期』への変化は、言い換えれば、単に踊るだけではなく「作品の世界を伝える表現者」という意識を持つようになったと考えることができるかもしれません。ジャニーさんの「アメリカンだよ!」発言とも関連する部分だと思いますが、突然パッションが現れたというよりは「しゃかりき」よりも「パッション」の比重が大きくなっていったような、そんな感覚でもありました。
次ページからの記事後半では、松松についてたっぷりとお話ししていきたいと思います。
何気なく見ていたMステをきっかけに、Sexy Zoneという底なし沼を知ってしまった箱推しのセクラバ・セクメン。彼らのバックにつくJr.(=セクバ)も応援するようになり、King & Prince(キンプリ)を通じてJr.がデビューする感動を初めて味わう。好きなセクゾの曲は『青い恋人』。2024年3月31日にセクゾやセクベアと一緒に卒業し、宝箱に閉まった「5人のSexy Zone」は揺るぎない永遠となりました。セクラバとして過ごした日々を永遠の誇りに、みんな幸せをずっとずっと願っています。
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